【不思議な話】めでたいことをしている人が何故自殺を? / お布施をその女性だけがくれる【石じじい】
708:名無しのオカルト 2019/06/02(日) 21:16:24.08 ID: ID:UCa1No+B0.net
石じじいの話です。
じじいが子供の頃のことだそうです。
じじいが鉄道線路近くの田んぼのあぜ道を歩いていると、線路上に人だかりが。
行って見ると、人がどうも轢かれたらしいのです。
轢かれた人を取り巻く大人たちの足元を通してみると、それは獅子舞のおじさんでした。
お正月にいつも家にやって来る。
履物が綺麗に揃えてあったので、こどものじじいにも自殺だと理解できたそうです。
おじさんは安らかな顔をして仰向けになっていましたが、彼の下半身はありませんでした。
一度、じじいは、そのおじさんに獅子頭の仕組みを教えてくれたことがありました。
獅子舞のときとはちがって物静かなひとだったそうです。
お正月にやって来て舞う、めでたいことをしている人なのになぜ?とじじいは彼の自殺について理解できませんでした。
「いや、いまんなったら、獅子舞のおっちゃんの気持ちもわからんでもないわい」と、私に話してくれた時に、じじいはつけ加えたのです。
私も、今では理解できるような気がします。
じじいが子供の頃のことだそうです。
じじいが鉄道線路近くの田んぼのあぜ道を歩いていると、線路上に人だかりが。
行って見ると、人がどうも轢かれたらしいのです。
轢かれた人を取り巻く大人たちの足元を通してみると、それは獅子舞のおじさんでした。
お正月にいつも家にやって来る。
履物が綺麗に揃えてあったので、こどものじじいにも自殺だと理解できたそうです。
おじさんは安らかな顔をして仰向けになっていましたが、彼の下半身はありませんでした。
一度、じじいは、そのおじさんに獅子頭の仕組みを教えてくれたことがありました。
獅子舞のときとはちがって物静かなひとだったそうです。
お正月にやって来て舞う、めでたいことをしている人なのになぜ?とじじいは彼の自殺について理解できませんでした。
「いや、いまんなったら、獅子舞のおっちゃんの気持ちもわからんでもないわい」と、私に話してくれた時に、じじいはつけ加えたのです。
私も、今では理解できるような気がします。
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710:名無しのオカルト 2019/06/04(火) 14:14:10.66 ID: ID:l06d/AwL0.net
石じじいの話です。
これは、じじいが石探しに九州に行った時の話のようです。
じじいが、ある寺を訪れた際、そこの住職が話してくれたそうです。。
その僧侶が托鉢修行をしていた頃、ある村を訪れました。
そこでは、ある家の女性のみが施しをしてくれたそうです。
次の訪れた時も、その女性だけが施しをしてくれました。
その次も。その次も。
お布施をくれる。
その女性だけがくれる。
もちろん、僧侶は、毎年そこを訪れる、というわけではありませんでした。
その村を訪れたある日、女性の家の近くで野良仕事をしていた男性が、その僧侶に声をかけてきました。
「お坊さまは、どうして、この空き家の前に立たれるのか?ここは誰も住んどらんが。」
僧侶は、すこし驚いて、「この家の女性がありがたいことに、長い間、毎回施しをしてくれるのだ」と説明しました。
「この家の女の人は、もう10年以上も前に死んでしまっているんだが。」と野良仕事の男性。
僧侶は当惑しました。
その表情を見て、その男性は合点がいったような顔をして、彼に以下のような話をしました。
- 最初、この村にあなたが来た時に、私たちは施しをしなかった。
- しかし、この家の女性だけが施しをした。
- その時、我々村人は、彼女に「施しを与えると癖になって頻繁に来るようになるぞ!」と。
- その後、あなたが何度か来たので、「それ、見たことか!こじきが来るようになってしまったぞ!」と。
- それに対して女性は答えたそうです。
- 「いや、あのお坊さんは、お金が欲しくてやってくるのではない、来なければならないと思って来るのだ」と。
僧侶は、恥じたそうです。
そして感謝し、修行に励みました。
「今、わたしは、僧侶としてりっぱなものになったかどうか・・・」
と、僧侶はじじいに語ったそうです。
*このようなメモですが、これの意味は、「その女性は、訪れて来る僧侶に、死んでからも施しをしていた」ということなのでしょうか?
僧侶は、その女性がこの世のものではない、ということに何年も気がつかなかったのでしょうか?
これは、じじいが石探しに九州に行った時の話のようです。
じじいが、ある寺を訪れた際、そこの住職が話してくれたそうです。。
その僧侶が托鉢修行をしていた頃、ある村を訪れました。
そこでは、ある家の女性のみが施しをしてくれたそうです。
次の訪れた時も、その女性だけが施しをしてくれました。
その次も。その次も。
お布施をくれる。
その女性だけがくれる。
もちろん、僧侶は、毎年そこを訪れる、というわけではありませんでした。
その村を訪れたある日、女性の家の近くで野良仕事をしていた男性が、その僧侶に声をかけてきました。
「お坊さまは、どうして、この空き家の前に立たれるのか?ここは誰も住んどらんが。」
僧侶は、すこし驚いて、「この家の女性がありがたいことに、長い間、毎回施しをしてくれるのだ」と説明しました。
「この家の女の人は、もう10年以上も前に死んでしまっているんだが。」と野良仕事の男性。
僧侶は当惑しました。
その表情を見て、その男性は合点がいったような顔をして、彼に以下のような話をしました。
- 最初、この村にあなたが来た時に、私たちは施しをしなかった。
- しかし、この家の女性だけが施しをした。
- その時、我々村人は、彼女に「施しを与えると癖になって頻繁に来るようになるぞ!」と。
- その後、あなたが何度か来たので、「それ、見たことか!こじきが来るようになってしまったぞ!」と。
- それに対して女性は答えたそうです。
- 「いや、あのお坊さんは、お金が欲しくてやってくるのではない、来なければならないと思って来るのだ」と。
僧侶は、恥じたそうです。
そして感謝し、修行に励みました。
「今、わたしは、僧侶としてりっぱなものになったかどうか・・・」
と、僧侶はじじいに語ったそうです。
*このようなメモですが、これの意味は、「その女性は、訪れて来る僧侶に、死んでからも施しをしていた」ということなのでしょうか?
僧侶は、その女性がこの世のものではない、ということに何年も気がつかなかったのでしょうか?
引用元:海・山にまつわる怖い話・不思議な話 2
この記事へのコメント
コメント一覧 (2)
僧侶だって神主だって牧師だって尼僧だって、自殺する人はする。
生きたかや職業と関係なく、そう言う縁なわけで。
↑ということが、分かった、と言うことか?
あと僧侶はだいたい生きてる人間と死んでる人間の区別つかないらしいぞ。
occlut_soku
がしました
occlut_soku
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