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実際の事件・シリアルキラー

【事件】昔は貧しさから犯罪に走る子も多かったろう、 くらいにしか考えてなかったけど……未解決じゃない不気味な事件『永山則夫連続射殺事件』

編集・公開: オカルト速報
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midashi
112
名無しのオカルト 2015/04/25(土)01:35:27 ID: ID:3O6

少年犯罪に関しては、今の方が分かりやすいくらいだよな
昭和(戦前・戦後含めて)の、わけわかんない事件よりもよっぽど

「少年犯罪は別に増えているわけじゃない、昔の方が多かった」と聞いて
そりゃ昔は貧しかったから犯罪に走っちゃう子も多かったろうさ、
くらいにしか考えてなかったけど
調べてみたら何不自由ない子供が意味不明の動機で
(それこそ「人を殺してみたかった」程度の)やっちゃう事件の多いこと多いこと

凄惨さで知られる名古屋アベック殺人事件も、
そしてコンクリ詰め殺人もギリギリ昭和だし




 

114名無しのオカルト 2015/04/25(土)11:16:18 ID: ID:RTJ

>>112
昭和の少年犯罪の一つ、コンクリ(監禁→集団強姦・暴行→死体遺棄)
平成の少年犯罪の一つ、千葉生き埋め(監禁→集団暴行?→死体遺棄)

もし千葉の逮捕された18歳の鉄筋工の少年が噂通りだとしたら
親子揃って同じことやって、少年法に守られる事になるね
ソースでたら誰かお願いします




113名無しのオカルト 2015/04/25(土)01:39:09 ID: ID:3O6

あと連続射殺魔の永山則夫(永山基準の人)も
1969年に逮捕されたときは19歳だから、ギリ未成年か




118名無しのオカルト 2015/04/27(月)05:57:09 ID: ID:G6t

永山則夫はなあ……

貧しさ(&コンプレックスその他)故の犯行であるが故に当時は同情論も多かったみたいだし
ひたすら凶暴・粗暴・低能だったのが拘置所で本を読んで教養を身に着けたり
色んな人と接触したことで徐々に人間らしくなっていって反省や贖罪の気持ちが芽生えたりして
だから一審の死刑判決が、控訴審で無期懲役に減刑されたのも分かるけど
でも差し戻し審での判決

「貧しかったとか苦しかったとか、そういう事情も分かるけど
 でも同じ条件で育った兄弟たちがまともに暮らしているんだから
 4人も連続して殺した言い訳にはならんでしょ(大意)」

も反論できない
いくらかわいそうでも、殺された人はもっとかわいそうなわけだし。
まあ、その兄弟もまともな人生を送っているとは言い難いという話は聞くけど
少なくとも兄弟は連続殺人事件を起こしているわけではないし
永山則夫の起こした事件のせいで人生が狂った結果、まともじゃない人生になっちゃった可能性もある

本人は「生きる希望の無かった人に、生きる希望を与えておいて殺すなんてなあ」
と不平を口にしていたそうで、気持ちは分からんでもないけど
死刑のときは全力で抵抗して「俺を殺したら革命が起きるぞ!」と叫んだというのは印象悪い
彼の著書「無知の涙」を読んでも
彼をかわいそうと思う人もいれば、自己憐憫の塊じゃねーかと怒る人もいる

個人的には、永山則夫にはかわいそうな部分がかなりあるにせよ
妙に美化したり、まるで悲劇のヒーローのように扱う論調には違和感を覚える
サイコパス的なシリアルキラーではないが、ただの粗暴犯じゃん、と思う

ただ、ソースが見当たらないから真偽のほどは定かではないが
弁護士が「このままじゃ死刑は免れ得ないし、責任能力なしの線で無罪を狙いましょうや」と提案すると
当人が「自分の著作や今までの主張が全部****の戯言になっちゃうじゃん」と拒否し
あえて生命を永らえる策を取らなかった、というのは(さっき言ったことと矛盾するけど)少しは潔いかな、と思う。
少なくとも「頭がアレなんで俺は無罪!」と主張するような輩に比べて。

この永山則夫の件は擁護派・批判派が膨大な議論を重ねているし
未だに(たぶん永遠に)結論の出ない話題なので
一口に言うことができず、長くなってしまい申し訳ない




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119名無しのオカルト 2015/04/27(月)21:42:45 ID: ID:U01

>>118
どんな事件だったのかを教えろお願いします




120名無しのオカルト 2015/04/28(火)07:59:06 ID: ID:xcU

事件自体は、そう大したものじゃない。いや4人も亡くなっているから大事件ではあるけど、
ここで挙げられるような不気味な怪事件というほどではない

1968年10~11月の間に、東京・京都・函館・名古屋で立て続けに起きた拳銃による連続殺人事件。
別名「広域重要指定108号事件」。

東京プリンスホテルの敷地内を巡回していた警備員(綜合警備保障・現アルソックの人)が殺害されたのを皮切りに
神社の守衛さん一人、タクシー運転手2人が射殺された。
凶器は横須賀の米軍宿舎から盗まれた拳銃。
犯人・永山則夫は、その後はバーとジャズ喫茶で働きつつ潜伏していたが
1969年4月7日、例の拳銃を持って千駄ヶ谷の専門学校に盗みに入り、
機械の警報で駆け付けた日本警備保障(現・セコム)のガードマン(22歳)に発砲して逃走。
数時間後に逮捕された。永山則夫、当時19歳。未成年なのに当時から実名報道。

永山則夫は網走生まれで、8人兄弟の7人目。
父は腕利きのリンゴ剪定師だったが酒と博打で身を持ち崩しており
一家を支えていた優しい長姉は婚約破棄+堕胎で精神的に不安定になるなど極貧にして家庭崩壊状態の中で暮らしてきた。

5歳のとき、耐えきれなくなった母親が青森の実家に逃げ帰る。
その後も超極貧+兄弟からの虐待+父の博打などで悲惨な境遇。
だが見かねた近隣住民が福祉事務所に通報してくれて、精神病院に入院中の長姉を残して母の実家に引き取られた。

少年時代の永山は駅伝大会でアンカーを務めて、通っていた板柳中学を優勝に導くなど
脚光を浴びたこともなかったわけではないが基本あまり学校には来なかったらしい。
姉に会いたくなって家出したことや、万引きしたこともあり、いじめに遭っていたようである。

15歳。中学卒業後、集団就職で上京。渋谷の高級果物店の店員となる。
WIKIによると当時の常連客には女優の岩下志麻さんもいた。
要領よく接客をこなし周囲の信任も厚かったが、どうも一つのところには定着できないタチらしい。
ちょっと叱られたとか、地元・板柳での盗みを知られたんじゃないかと疑心暗鬼になるとか
本籍が網走番外地なので「ムショ生まれかよ」とからかわれるのが嫌とか
そういう些細な理由ですぐに辞め、職を転々とし、窃盗などの軽犯罪を繰り返した。
何故か国外脱出しようとして二度も密航を試みている(失敗したが)。自殺未遂もしている。

一応、窃盗で掴まっても身柄を引き取ってくれる社長だの
夜間学校に通う保証人になってくれる次兄だのもいて
必ずしも孤立無援というわけでもなかったと思うが、それはあくまで周囲から見ての話であり
当人の中では色々とこじらせてしまい
社会への復讐の念から事件に及び4人を殺害したわけである。




123名無しのオカルト 2015/04/28(火)18:22:22 ID: ID:msT

>>120
詳しく解説乙 凄く分かり易かった




128名無しのオカルト 2015/05/01(金)00:40:44 ID: ID:06c

>>120
とても読みやすかった

真面目で純朴な人が周囲に多いと、もとがそうでない輩は強く反発心が出るのかな
どの県でも凶悪指数の総数(今作ったw)を人口で平均すると同じだったりして




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121名無しのオカルト 2015/04/28(火)07:59:18 ID: ID:xcU

裁判での彼は、当初は非常にヒステリックであったが徐々に落ち着き始める。
拘置所で哲学、経済学、心理学の専門書を読むようになったのである。
元来、教養のない粗暴犯ではあったものの、いわゆる地頭は良かったらしく
これらの難解な本を読破して内容を理解し、自分でも手記を書き始めるようになった。
この手記は後に「無知の涙」というタイトルで世に出て爆発的なヒットとなり
永山の生い立ちに同情的な見方をする人が増え始めた。
うち一人の女性とは、文通の末に獄中結婚もしている。

1983年には小説「木橋」で第19回新日本文学賞も受賞。90年1月には日本文藝家協会に入会を申し込むが
「いや、でも殺人事件の刑事被告人だしなあ、駄目でしょ」「いやいや個人の善悪と作家としての才能は別じゃん」
と、同協会の理事・作家たちが内紛を起こす羽目になる。

一方、裁判の方だが、一審では死刑判決が出た。
学がついたのは良いのだが、口が回るようになってしまって
「殺した4人は全員プロレタリアートだったので、自分は被害者の家族にではなくプロレタリアート全体に謝罪したい」
「自分のような貧困者を生み出した国家が犯人だ」
など(当時の)左翼用語を振り回して挑発的な態度を取ったので裁判官の心証は最悪だったと思われる。
支援者の一人でガリガリの全共闘生き残りがいたので、彼の影響だったようだ。

二審でも当初は挑発的な態度だったが、
妻や(全共闘生き残り以外の)支援者との交流が続くうち、頑なだった態度が徐々にほぐれていき
被害者家族や社会に詫びたい、本の印税は妻を通して遺族に贈る、
当初は拒絶していた母親にも詫びたい……など、人間らしい言葉が紡がれるようになってきた。
これにより二審では減刑され、無期懲役の判決が出た。

だが検察は「4人も殺して死刑にならないなら、事実上死刑判決なんてなくなっちゃうだろ」
「それに、いま拘置されている死刑囚に対しても不平等だろ」と反発し、上告。
最高裁は裁判の差し戻しを命じ、結果、1990年に死刑が宣告された。
「家庭環境が劣悪だったことは4人も殺したことの言い訳にはならない」
つまり自分が不幸だからといって他人を不幸にする権利はない、というのが判決だった。




122名無しのオカルト 2015/04/28(火)07:59:28 ID: ID:xcU

その後、仕方がないこととは思うが永山は再び喧嘩腰になり
やたらと人に噛みつき自分は天才だと豪語するようになり
理解者である妻とも離婚。永山の態度の悪さに、支援者も次々と去っていった。

1997年8月1日、死刑執行。
おりしも神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)が起こった頃であり
事件当時に未成年だからといって容赦しないぜ的な姿勢を見せるためだったとも言われているが詳細は不明。

三菱重工爆破事件の大道寺将司の手記によると、この日の朝「ウオー」という絶叫を聞いたという。
恐らく隣の棟に収容されていた永山が引っ立てられる際に抵抗した声と思われる。
(もっとも、この日は別の死刑も執行されたので確実ではないが)

永山の遺骨は生前の遺言通り、妻の手によってオホーツク海へと帰っていった。
また、これも遺言通り、残された印税を元に世界の貧しい子供たちのための「永山こども基金」が設立された。

なお、判決における傍論の死刑適用基準は
後の死刑判決でも判例と同じように参考にされるようになった。いわゆる「永山基準」である。




引用元:未解決じゃなく、解決した不気味な事件教えて

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