
294:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 16:34:21.82 ID: ID:vqxPHXQS0.net
それは決して物質でもないし、物理現象ではない。
精神現象は、物理現象ではないのだ。
唯物論に騙されるな。
295:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 16:35:28.39 ID: ID:vqxPHXQS0.net
それを見ている意識は、物理現象ではない。
296:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 16:38:19.05 ID: ID:vqxPHXQS0.net
仏陀やイエスが言っていることは正しい。
特に仏陀は完璧に正しい。
305:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 16:45:05.60 ID: ID:vqxPHXQS0.net
個々の自我が生まれる前に、それらの自我を生みだすメカニズムが先にある。
自我を生みだすメカニズム自体に自我はない。もともと無我。
魂の数を数えるという発想自体が、自我の発想。
324:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 17:19:18.06 ID: ID:YMRPIrgn0.net
なるほど
そういうのはどこで学ぶのかな
宗教?
哲学?
直感?
329:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 17:26:20.35 ID: ID:vqxPHXQS0.net
瞑想(坐禅=止観の禅)
言い換えると、精神現象を精神現象として,精神現象のままに観察する、観測。
近現代科学の主流派は、デカルト以来のことなのか、精神現象を物理現象を通して
間接的に類推する形で観測するし、精神現象についての証拠も、物的証拠を要求するでしょ。
一方、瞑想の流儀は、精神は精神のままやるってことだと理解してます。
334:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 17:28:43.35 ID: ID:vqxPHXQS0.net
そんなもん、いくら頭で考えても分からない。
そういうのは観察で分かる。
精神現象も同様。
ただし、精神現象がモノでなかった場合、精神現象が物質であるという前提にたつ
方法論では、永遠に答えに辿り着けない。
372:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 18:51:35.73 ID: ID:RHyG3RCW0.net
物質は突き詰めるとエネルギーであり、現象であるのだとすると、精神は物質では無いということは、精神はエネルギーでも無く、現象でもないのだろうか?
エネルギーではない、という定義には、エネルギーである、という定義が必要であり、何がエネルギーかを規定する必要があるのだが、その規定は、人間の観察と思考という精神から来る行為によって成されてる。
そう考えると、物質と精神は非可分なものであるのだろうか?
全ての主体は客体であり、その事実を認識できるにいたった人類だけが、その事実を認識できるがゆえに、主体と客体という牢獄の外に出ることができるという本質的に事実でありえる精神性を備えたのであろうか。
345:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 17:40:55.31 ID: ID:LmibtX2Z0.net
難しいな
肉体という物理現象を観察しても魂の仕組みには、たどり着かないってことかな
よくわからないが直感的には良い感じ(スッキリする感じ)がするw
361:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 18:09:41.21 ID: ID:LmibtX2Z0.net
例えば色即是空 空即是色
空は無とイコールではなく
空とは何か仕切りとか区切りみたいなのががあって
その中が目に見えない何かで満たされている状態であって
つまり空とは素粒子みたいなもの
この世は素粒子である、てな感じで
仏教も論理的物理学のアプローチと同じ様なものとオレは理解していた
この世の仕組みの理解には唯物論で思考すべきとも思う
そこで唯物論に距離を置き
ある意味キ**イ扱いされつつも「精神現象を観察」する意味は何なんだろう・・・
何を試されているのだ?
375:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 18:58:58.40 ID: ID:vqxPHXQS0.net
真実を洞察する智慧は、大きく分けると「分別智」と「無分別智」という二つに分類できる。
前者は論理的思考も含めた思考のことで、概念智とも言える。
後者は経験を通した洞察のことで、体験智とも言える。
また、後者の無分別智は、禅などの瞑想によって思考と感覚に流されず、一点に集中した
意識状態でのみ経験できる。
(思考はしていないが、はっきりした意識だけがある、という精神状態がある)
その状態までいった時、色んなことが分かる。
例えば、自我は思考と感覚が生みだす現象に過ぎず、ある種の錯覚であるということ。
意識は、そうした思考や感覚、従って肉体にさえも本質的には依存していないことなど。
なぜ観察が重要なのかという問いは、良い質問ですね。
錯覚から目覚められるし、死に行く牢獄である肉体から自由になれるからかな。
仏陀は、四諦として簡潔に答えておられると思うけれども。
419:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 20:29:46.56 ID: ID:LmibtX2Z0.net
オレはこの世(の人のつながり)に執着しているから無分別智とか体験できそうにないかもw
無分別智にたどり着く可能性(素質というか)がある人は汚れやすい(壊れやすい)ですかね?
510:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 22:13:46.16 ID: ID:vqxPHXQS0.net
人への慈悲に徹して、その際に徹底的に(エゴとしての)自我を手放せれば
多分、同じことが起きるんじゃないかと思ってます。
智慧の道か、慈悲の道か、これはコインの裏表なんだろうと思います。
坐禅の最中だけ思考を止めるだけなら、そんなに難しいことではないかも
知れませんよ。
2、3年、毎日欠かさず1~2時間の瞑想を続けられるくらいの根気があれば
誰でもできる、くらいの言われ方をすることもあります。
難しいのは、そこでしょうね。
525:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 22:27:53.70 ID: ID:vqxPHXQS0.net
後半部分については、人それぞれなんじゃないでしょうか。
自我を手放すことと、もとの自我がどんな性格かは、直接的には
あまり関係がないような気がします。
当たり前ですが、
自我を立派なものに育てていくには、世間の基準(此岸の価値観)に
基づいて地道に努力するしかないでしょう。
対して、自我を手放すのは彼岸の価値観のモノサシということになりましょうか。
513:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 22:17:58.93 ID: ID:oNS9yqRm0.net
物理としたら何も無くならない、産まれないからなあ
528:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 22:31:37.56 ID: ID:LmibtX2Z0.net
オレの知人も不条理な人間関係の中で自我を出さずに格闘しているようで
オレも本当に尊敬できる人です
アプローチはひとつではないうことですな
遅い時間に申し訳ない
もう一つ質問
なぜ魂は死に行く牢獄である肉体を得るのか
その肉体を傷つける破壊すること、つまり他殺は勿論、自殺に対する考え方
531:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 22:35:14.14 ID: ID:oNS9yqRm0.net
> なぜ魂は死に行く牢獄である肉体を得るのか
逆のような
548:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 22:47:59.93 ID: ID:vqxPHXQS0.net
釈尊は、無明と渇愛が原因であると仰っています。
おそらく四聖諦を悟った時に、本当の意味が理解できるのでしょう。
自殺について、基本的な考え方としては、輪廻転生と業報を前提に判断します
ので、問題解決にならないと思います。
肉体が死んでも、業がまた次の生を生みだすはずだからです。
本当は、自殺の状況について、前後の文脈や背景を確認してから判断するべき
でしょうが、一般論としてご返答させて頂きました。
576:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 23:16:47.12 ID: ID:LmibtX2Z0.net
いろんなキーワード出てきたから
オレも少し勉強してみよう
オレの知り合いは、おそらく前世を自殺で終えているようで
ちょっと気になったものですから
あなたのような人とこのような話が出来るものこういう場所ならではですな!
道しるべの参考になりました
ありがとうございます
577:名無しのオカルト 2018/10/28(日) 23:22:24.25 ID: ID:vqxPHXQS0.net
ありがとうございました。
最後の最後で仏教用語連発して、すみません。
引用元:『霊は"見える人"へ寄り付いてくる』
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