550:名無しのオカルト 2018/11/04(日)08:34:39.56 ID: G7wBcdgu.net
こんなニュースを見付けた
俺の知ってるすげぇ態度の悪い浅草寺の坊さん、やっぱどこもそうなんだろうな
ネットでいろんな寺社の情報がわかるこの時代では実力と人格を兼ね備えた本当の意味での三宝を求めてる
https://mainichi.jp/articles/20181102/k00/00m/040/092000c
俺の知ってるすげぇ態度の悪い浅草寺の坊さん、やっぱどこもそうなんだろうな
ネットでいろんな寺社の情報がわかるこの時代では実力と人格を兼ね備えた本当の意味での三宝を求めてる
https://mainichi.jp/articles/20181102/k00/00m/040/092000c
「お坊さん」の評価は、「仏教」や「お寺」に比べて低い−−。浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)の総合研究所が昨年、葬儀業者や消費者ら2221人から回答を得たアンケートで厳しい結果が出た。僧侶の悪印象の原因では「人に対する態度」が最多の23%で、「金銭感覚」(19%)が続いた。一方、「教義の理解不足」「読経の力量不足」など僧侶の専門性への不満はいずれも5%程度。また、「人に対する態度」を回答者別にみると、僧侶に接する機会が多い業者は27%に上り、一般来場者の16%より多かった。福本康之研究室長(49)は「僧侶の人間としての資質を上げる必要がある」と話した。アンケートは僧侶の派遣サービスを巡り、全日本仏教会が2016年に中止を求めて批判を受けたことを機に、仏教や寺への具体的な不満を聞き取ろうと実施。
558:名無しのオカルト 2018/11/09(金)01:00:03.63 ID: cOm5XRAs.net
仏教では人は死ぬと魂が体から抜け出して西方浄土。西の果てにある国に行くとされている。
つまり故人の体というのは抜け殻にすぎない。それを火葬場で焼いて、その中からいくつか欠片を拾って骨壺に納める。
それを墓の下に埋める。
そんなものに魂なんか残っているわけがない。だから墓場に幽霊が出るというのもおかしい。
お盆には死んだ人が帰ってくるというが、これは日本独自の信仰で本来の仏教にそんな思想はない。
お盆というのは正しくは盂蘭盆絵と言って、梵語のウランバナという言葉に由来する。
本来は「逆さ吊りにされる」という意味で、それくらいの苦痛に満ちた罰を与えられるということ。つまり地獄で受ける罰、責め苦のこと。
釈迦の弟子に目連という人がいて、この人は神通力を持っていたそうで、ある時、死後の世界を覗き見てみたら自分の母親が餓鬼道に堕ちて飢えと渇きに苦しんでいた。
子ども想いの良き母親だったのにどうして地獄に堕ちたのか? と釈迦に相談したところ、彼女は生前、のどが渇いて苦しんでいる人に水をあげなかったと言う。
自分の子どもは大事にしても他人を思いやる慈悲の心に欠けていた。
ちょうどその時、目連は夏の修行中だったので釈迦は修行の終わる七月一五日に僧侶達みんなに食事を振る舞いなさい。そうすればその功徳によってお母さんは救われると教えた。
目連がその通りにするとお母さんは餓鬼道から救われた。
それ以来、旧暦の七月一五日は亡くなった人を供養する日になり、それが日本では新暦の八月一五日になった。
つまり八月一五日に人々の魂がこの世に帰ってくるというわけではない。
そもそも仏教には輪廻転生という概念はあっても、死者が霊となり、あの世から帰ってくる。という考えはない。
ずっと昔にな亡くなってすでに生まれ変わった人が幽霊になって出てくるのはおかしい。
今の日本人の多くはお盆にはご先祖様が帰ってくると思い、お盆にお墓参りに行くが、墓の中にはご先祖様なんていない、存在しない。
では墓なんのためにあるのか?
生きている人が亡くなった人を忘れないためにであろう。
愛する人、親しい人を決して忘れない、忘れたくない。その想いの証。
そのために風雨に耐えられる石で頑丈な墓を建てる。亡くなってから何十年も経っても、その前に立てば、その人のことを思い出せるように。
つまり故人の体というのは抜け殻にすぎない。それを火葬場で焼いて、その中からいくつか欠片を拾って骨壺に納める。
それを墓の下に埋める。
そんなものに魂なんか残っているわけがない。だから墓場に幽霊が出るというのもおかしい。
お盆には死んだ人が帰ってくるというが、これは日本独自の信仰で本来の仏教にそんな思想はない。
お盆というのは正しくは盂蘭盆絵と言って、梵語のウランバナという言葉に由来する。
本来は「逆さ吊りにされる」という意味で、それくらいの苦痛に満ちた罰を与えられるということ。つまり地獄で受ける罰、責め苦のこと。
釈迦の弟子に目連という人がいて、この人は神通力を持っていたそうで、ある時、死後の世界を覗き見てみたら自分の母親が餓鬼道に堕ちて飢えと渇きに苦しんでいた。
子ども想いの良き母親だったのにどうして地獄に堕ちたのか? と釈迦に相談したところ、彼女は生前、のどが渇いて苦しんでいる人に水をあげなかったと言う。
自分の子どもは大事にしても他人を思いやる慈悲の心に欠けていた。
ちょうどその時、目連は夏の修行中だったので釈迦は修行の終わる七月一五日に僧侶達みんなに食事を振る舞いなさい。そうすればその功徳によってお母さんは救われると教えた。
目連がその通りにするとお母さんは餓鬼道から救われた。
それ以来、旧暦の七月一五日は亡くなった人を供養する日になり、それが日本では新暦の八月一五日になった。
つまり八月一五日に人々の魂がこの世に帰ってくるというわけではない。
そもそも仏教には輪廻転生という概念はあっても、死者が霊となり、あの世から帰ってくる。という考えはない。
ずっと昔にな亡くなってすでに生まれ変わった人が幽霊になって出てくるのはおかしい。
今の日本人の多くはお盆にはご先祖様が帰ってくると思い、お盆にお墓参りに行くが、墓の中にはご先祖様なんていない、存在しない。
では墓なんのためにあるのか?
生きている人が亡くなった人を忘れないためにであろう。
愛する人、親しい人を決して忘れない、忘れたくない。その想いの証。
そのために風雨に耐えられる石で頑丈な墓を建てる。亡くなってから何十年も経っても、その前に立てば、その人のことを思い出せるように。
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559:名無しのオカルト 2018/11/09(金)01:16:25.81 ID: kIAQW0cw.net
仏教は邪教
坊主は詐欺師
寺はカルト施設
坊主は詐欺師
寺はカルト施設
560:名無しのオカルト 2018/11/09(金)11:49:07.51 ID: /d1LAwYa.net
聖書とか古代に記載されている悪魔(悪霊)は実際には具体的な悪さをしない
たまに人に取り付いて妄言を吐くだけ
具体的に人を殺したりするには専ら神様の役目
信仰心が薄いと言っては山を噴火させ信者を焼き殺し
悪徳だと言っては街毎皆殺しにし
神仏を信仰していないと言っては子供を皆殺し
別の宗教の神を自分を信じない悪と自分の都合で決め付け踏み殺し
ナマコの口を裂き
信仰心を試す為に子供を生贄に捧げさせたりと
現代の価値観で言えばキリスト教の神こそ悪魔や大魔王の如き所業しかしていない
たまに人に取り付いて妄言を吐くだけ
具体的に人を殺したりするには専ら神様の役目
信仰心が薄いと言っては山を噴火させ信者を焼き殺し
悪徳だと言っては街毎皆殺しにし
神仏を信仰していないと言っては子供を皆殺し
別の宗教の神を自分を信じない悪と自分の都合で決め付け踏み殺し
ナマコの口を裂き
信仰心を試す為に子供を生贄に捧げさせたりと
現代の価値観で言えばキリスト教の神こそ悪魔や大魔王の如き所業しかしていない
561:名無しのオカルト 2018/11/09(金)12:37:34.43 ID: QV8tnGYo.net
結局エンリル(ヤーウェ)もエンキ(サタン)も両方性格悪いと
人間はそいつらのいざこざに巻き込まれてる被害者
人間はそいつらのいざこざに巻き込まれてる被害者
562:名無しのオカルト 2018/11/09(金)20:07:12.39 ID: lkZiuScI.net
>>561
何を今更w
大日如来も天照大御神もそいつら変わらんクズよ
何を今更w
大日如来も天照大御神もそいつら変わらんクズよ
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594:名無しのオカルト 2018/11/30(金)12:52:21.29 ID: ek4Vb09L.net
江戸時代になるまで日本では「仏教」が戦争の原因となることはしょっちゅうありました。
『日本では宗教戦争がなかった』みたいなことを平気で言う人が居ますがこれは大間違いです。
日本から宗教戦争が消えたのは、信長・秀吉・家康・秀忠・家光あたりの5代くらいの政権にわたって、宗教から政治権力や軍事力を奪うという「政教分離」政策を徹底して推し進めた結果です。
世界的に見ると、このような「政教分離」を16〜17世紀頃に成し遂げた国はまったく皆無で、最近では国際的に信長以降の宗教政策は高く評価されるようになってます。
現代日本人が仏教のことを「平和な宗教」だと思い込んでいるのは、信長以降に政治・軍事から切り離されてしまって長い年月を経た『現代の仏教』を見ているからであって、戦国時代以前の仏教がまったく違うものだったことを見ていないのです。
仏教は世界史的に見ると「宗教戦争」の要因になっていることは、キリスト教・イスラム教と比べると確かに少ない感じはあります。
しかし初期の仏教でさえも、釈迦が死ぬとその遺灰を巡ってインド全土が数十年にわたる大戦争に突入していまして、宗教戦争とは決して無縁ではありませんでした。
日本に仏教が伝来した当時は、日本古来の「神道」の教派と対立が起こり、蘇我vs物部という代理戦争が起こったことは有名です。
それ以降も、平安時代に、比叡山と高野山にそれぞれ有名な寺が開かれますが、どちらもすぐに「宗教戦争」へと突入します。
天台宗は比叡山の延暦寺とふもとの三井寺・円城寺に分かれて戦争を繰り返しお互いの寺院を何十回も焼き討ち、
高野山の側でも少し西側に根来寺という同じ宗派の寺ができ何度も戦争を行っています。
同じ宗派内の対立だけではなく、比叡山と南都仏教(奈良の興福寺など)との対立、鎌倉〜室町期には、比叡山と新興の禅宗との間でも対立が起こり、一種の宗教裁判や時には戦争沙汰が起こることも珍しくありませんでした。
戦国時代までは、仏教寺院というものは広大な土地を支配すると共に自前の軍隊まで備えた「権力者」であり、いわゆる大名などと同じものでした。
信長より数十年さかのぼる頃に起こった「天文法華の乱」という大乱は、おそらく日本史上で最大の『宗教戦争』であり、畿内一円で一向一揆と法華宗(日蓮宗)とが大戦争を繰り広げたため、その戦いと破壊の規模はかつての応仁の乱をしのぐほどのものだったのです。
応仁の乱の後に復興されていた京都の街も再び焦土と化し、しばらくして訪れた外国人宣教師が荒廃した京都の現状を見て驚いたそうです。
信長について言いますと、一向宗と比叡山どちらも宗教側が先に信長に攻撃をしかけてきたのです。
比叡山は、当時でも近江の国を中心にして大名並みの領地と軍隊を持つ権力者であり、都の政治にも自分達の「力」を背景にしてわがままな介入を繰り返していました。
また、莫大な経済力を背景に、市民に高利貸をして利益をあげ(室町時代は寺院が高利貸しの元貸しをしていたのです)、肉食や妻帯もあたりまえで、およそ僧侶とは思えぬ贅沢三昧な暮らしを送っていたと言われます。
のみならず信長が浅井・朝倉と対立した時に、比叡山は浅井・朝倉軍に味方したために、信長は「中立を守らないならば焼き討ちにするぞ」という警告を行い、一応は間に和睦もあったのですが翌年本当に焼き討ちに踏み切ったのです。
信長が宗教を弾圧したのは、武力をもって抵抗してくる場合に限られ、武力制圧後のも宗教活動までは制約しませんでした。
信長に焼き討ちされたという比叡山にしろ百済寺にしろ、焼かれたのは主に軍事施設や宿坊などに限られ、本殿などの「宗教施設」はちゃんと保護され後世に残されているのです。
つまり「宗教の活動はあくまでも精神世界の分野に限ってくれよ」というのが、信長以降の権力者の考えであり、江戸時代以降に日本の宗教が平和なものになった大きな要因だったのです。
『日本では宗教戦争がなかった』みたいなことを平気で言う人が居ますがこれは大間違いです。
日本から宗教戦争が消えたのは、信長・秀吉・家康・秀忠・家光あたりの5代くらいの政権にわたって、宗教から政治権力や軍事力を奪うという「政教分離」政策を徹底して推し進めた結果です。
世界的に見ると、このような「政教分離」を16〜17世紀頃に成し遂げた国はまったく皆無で、最近では国際的に信長以降の宗教政策は高く評価されるようになってます。
現代日本人が仏教のことを「平和な宗教」だと思い込んでいるのは、信長以降に政治・軍事から切り離されてしまって長い年月を経た『現代の仏教』を見ているからであって、戦国時代以前の仏教がまったく違うものだったことを見ていないのです。
仏教は世界史的に見ると「宗教戦争」の要因になっていることは、キリスト教・イスラム教と比べると確かに少ない感じはあります。
しかし初期の仏教でさえも、釈迦が死ぬとその遺灰を巡ってインド全土が数十年にわたる大戦争に突入していまして、宗教戦争とは決して無縁ではありませんでした。
日本に仏教が伝来した当時は、日本古来の「神道」の教派と対立が起こり、蘇我vs物部という代理戦争が起こったことは有名です。
それ以降も、平安時代に、比叡山と高野山にそれぞれ有名な寺が開かれますが、どちらもすぐに「宗教戦争」へと突入します。
天台宗は比叡山の延暦寺とふもとの三井寺・円城寺に分かれて戦争を繰り返しお互いの寺院を何十回も焼き討ち、
高野山の側でも少し西側に根来寺という同じ宗派の寺ができ何度も戦争を行っています。
同じ宗派内の対立だけではなく、比叡山と南都仏教(奈良の興福寺など)との対立、鎌倉〜室町期には、比叡山と新興の禅宗との間でも対立が起こり、一種の宗教裁判や時には戦争沙汰が起こることも珍しくありませんでした。
戦国時代までは、仏教寺院というものは広大な土地を支配すると共に自前の軍隊まで備えた「権力者」であり、いわゆる大名などと同じものでした。
信長より数十年さかのぼる頃に起こった「天文法華の乱」という大乱は、おそらく日本史上で最大の『宗教戦争』であり、畿内一円で一向一揆と法華宗(日蓮宗)とが大戦争を繰り広げたため、その戦いと破壊の規模はかつての応仁の乱をしのぐほどのものだったのです。
応仁の乱の後に復興されていた京都の街も再び焦土と化し、しばらくして訪れた外国人宣教師が荒廃した京都の現状を見て驚いたそうです。
信長について言いますと、一向宗と比叡山どちらも宗教側が先に信長に攻撃をしかけてきたのです。
比叡山は、当時でも近江の国を中心にして大名並みの領地と軍隊を持つ権力者であり、都の政治にも自分達の「力」を背景にしてわがままな介入を繰り返していました。
また、莫大な経済力を背景に、市民に高利貸をして利益をあげ(室町時代は寺院が高利貸しの元貸しをしていたのです)、肉食や妻帯もあたりまえで、およそ僧侶とは思えぬ贅沢三昧な暮らしを送っていたと言われます。
のみならず信長が浅井・朝倉と対立した時に、比叡山は浅井・朝倉軍に味方したために、信長は「中立を守らないならば焼き討ちにするぞ」という警告を行い、一応は間に和睦もあったのですが翌年本当に焼き討ちに踏み切ったのです。
信長が宗教を弾圧したのは、武力をもって抵抗してくる場合に限られ、武力制圧後のも宗教活動までは制約しませんでした。
信長に焼き討ちされたという比叡山にしろ百済寺にしろ、焼かれたのは主に軍事施設や宿坊などに限られ、本殿などの「宗教施設」はちゃんと保護され後世に残されているのです。
つまり「宗教の活動はあくまでも精神世界の分野に限ってくれよ」というのが、信長以降の権力者の考えであり、江戸時代以降に日本の宗教が平和なものになった大きな要因だったのです。
595:名無しのオカルト 2018/11/30(金)12:59:16.01 ID: hvItqkQQ.net
>>594
仏教もキリスト教も釈迦やイエスが死んだ後に
残された信者があらぬ解釈で作り上げた偶像崇拝教だよな
釈迦やイエスの正しい教えを当時の人々は理解できんかったんやろうなあ…
仏教もキリスト教も釈迦やイエスが死んだ後に
残された信者があらぬ解釈で作り上げた偶像崇拝教だよな
釈迦やイエスの正しい教えを当時の人々は理解できんかったんやろうなあ…
596:名無しのオカルト 2018/11/30(金)15:52:59.01 ID: JSnw6Nsk.net
>>594
いいね ☆☆☆...正しい歴史として学ぶべきですね。
いいね ☆☆☆...正しい歴史として学ぶべきですね。
引用元:輪廻転生を終了させる方法
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