引用元: ・海にまつわる怖い話・不思議な話 19
539: 本当にあった怖い名無し 2013/11/03(日) 19:03:09.19 ID:Ykl/d9lu0
海の話ではありませんが。
バルチック爺さんが日露戦争中に見聞した話です。
彼は、その後、関西の都市部で、衛星看護兵の訓練に携わりました。そこで知り合った医務教官
から聞いた話だということです。
その教官は、佐世保の収容所で、バルチック艦隊の生き残りの兵士の管理とケアを行っていた
そうです。島根県に漂着したロシア人乗組員(捕虜)のなかで、インテリの士官がいて、
そのロシア人は、フランス語をよくしゃべり、ドイツ語もしゃべることができたそうです。
その兵士は、教官に以下の話をしました。
バルチック爺さんが日露戦争中に見聞した話です。
彼は、その後、関西の都市部で、衛星看護兵の訓練に携わりました。そこで知り合った医務教官
から聞いた話だということです。
その教官は、佐世保の収容所で、バルチック艦隊の生き残りの兵士の管理とケアを行っていた
そうです。島根県に漂着したロシア人乗組員(捕虜)のなかで、インテリの士官がいて、
そのロシア人は、フランス語をよくしゃべり、ドイツ語もしゃべることができたそうです。
その兵士は、教官に以下の話をしました。
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そのロシア人士官の出身地は、ロシアのウラル地方、エカチェリンブルグでした。
その当時、近郊の村(から離れた森のなか)に、帝国による軍事教練所(と地元の人間は理解して
いた、と)があり、そこから、地元の人間ではない「子供たち」が多く集められていたそう
です。不定期に人員は補充されてきて、その教練所の規模は、少しづつ大きくなりました。
地元の人間は教練所に近づいたり、そこの人間と接触することはかたく禁じられていました。
その訓練は厳しいらしく、たまに、そこから少年が逃げ出して近くの村に出没することが
あったそうです。しかし、周辺の村では、その逃亡兵(と言うべきか?)を歓迎せず、時には、
秘密裏に殺害したこともあったそうです。
なぜか?
その当時、近郊の村(から離れた森のなか)に、帝国による軍事教練所(と地元の人間は理解して
いた、と)があり、そこから、地元の人間ではない「子供たち」が多く集められていたそう
です。不定期に人員は補充されてきて、その教練所の規模は、少しづつ大きくなりました。
地元の人間は教練所に近づいたり、そこの人間と接触することはかたく禁じられていました。
その訓練は厳しいらしく、たまに、そこから少年が逃げ出して近くの村に出没することが
あったそうです。しかし、周辺の村では、その逃亡兵(と言うべきか?)を歓迎せず、時には、
秘密裏に殺害したこともあったそうです。
なぜか?
540: 本当にあった怖い名無し 2013/11/03(日) 19:05:17.14 ID:Ykl/d9lu0
「あの教練所の連中は、人を食っている」という噂がたっていました。文字通り「人肉を喰らう
:食人」という意味です。「あそこにいる連中は、子供だが、人の肉を喰らうヴィーだ。脱走し
た子供に、村人が殺された(喰われた)」と。
そのような噂は、表立って話すことは禁じられていて、憲兵による「流言者」の逮捕もあった
そうです。これではなにかと不都合が多いので、地元の役人にどういうことかを村の
有力者などが尋ねることもあったそうですが、「あそこでは、帝国兵士の育成をしていて・・」
というような曖昧な返答しかなかったとか。役人も知らなかったのでは?と。「あそこは、帝国学士院
(科学アカデミーと思われますが)も関与していて、我々にはどうにも・」というくらいが聞き出せた
詳しい話でした。村人が命令されて、生きた牛や馬、羊などを食料として納める時も、ベトンで
作られた高い壁に囲まれたその敷地には入れなかったそうです。
医務教官がドイツ語によって聞き取った話です。
(おわり)
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