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不可解な体験、謎な話

【オカルト】不思議やオカルト話を披露する『デオンという男、あるいは女 』『昔は、修行のさなかに気が狂うというような事がおおかったと聞いております』

編集・公開: オカルト速報
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midashi
76
2012/03/27(火) 23:55:50.24 ID: ID:DRPQ5d2l0

なんか、三月末は追い込みで
いそがしすぐる。。


デスバレーの動く岩

米国カリファルニア州のデスバレー国立公園に奇妙な石がある。干からびた大地の上に点在する数十個の石に、
それぞれてんでバラバラに引きずられた後がついているのだ。近年では、監視する取り組みもおこなわれているが、
その瞬間を見た人は誰もい。ただ気がつけば石が動いた軌跡のみが残されているという。
 このことは古くら知られており、1948年には地質学者ジム・マクアリスターらが、
エリアの岩盤をマッピングしその謎を探ろうとした。国立公園の博物学者たちも、
この謎に取り組もうとさまざまな記録を残している。
 現在有力な仮説として、ジョン・リード博士の説がある。このデスバレーで、
冬季に雨が降ると浅い湖が出来て、夜になると表面に薄い氷が張という事から、
その氷が石に付いて地表からわずかに意思を浮かせ、そこに強風が吹くと石が移動することになるのではないかという説である。
 しかし、それにしては石の軌跡がそれぞれに違い、時には蛇行したり、鋭角に曲がったり、
また逆方向へ進んでいたりするという説明をするためには、
それぞれの石に違った方向から吹く風が当たらないと説明がつかず、完全な説明とは言われていない。
 この問題は、今なお全米の科学者たちを悩まし続け、
今でもあらたな実験や仮説が提唱されては消えていく状態であるという。




 

782012/04/01(日) 00:56:02.41 ID: ID:CLOv4Ijt0

デオンという男、あるいは女

18世紀のフランスの外交史上に不思議な人物がいる。その名をシャルル・ジュヌヴィエーヴ・ルイ・オーギュスト・
アンドレ・ティモテ・デオン・ド・ボーモンという。この人は、生涯の前半は男性として、後半を女性として生きたという。
 女装させて8歳まで女の子として育て、その後も女装を好み、世間から少女として扱われることに喜びを感じるようになったデオンは、
その美貌からルイ15世が、ぞっこん惚れ込んだという。この国王はデオンのその女装と美貌を外交に利用しようとしたのだ。
 27歳のデオンは完璧な女装をしてリア・ド・ボーモンという女性の偽名でロシアに渡った。そしてロシアのエリザベータ女帝に近づき、
密かに情報をルイ15世に送っていた。当時、デオンの存在は一部のモノをのぞいてはフランス政府ですらその存在が隠されていたという。
 そして二度目にデオンがロシアに渡った際は、女装せずに普通に男性としていた。今度はデオンは、ボーモンの兄であるという触れ込みで、
周囲の人々をごまかしたという。
 その後フランスに帰国したデオンは、男性として軍隊生活を送る。デオンの武勇は多く、フェンシングの達人でもあったという。
 また一方で、デオンの外交手腕は確かなものであったらしく、全権公使を任ぜられ英国に渡った。英国の社交界にも顔を出し、
しばしば女装で現れて英国社交界を混乱させたという。
 英国社交界に入り浸るようになったデオンは、英国王のジョージ三世の妃と懇意になる。ある日、一夜を共にしたことが一部の
人間に知れてしまったというのだ。すぐさま帰国しなければ命が危ない。だがフランス政府はこのときとばかり、
帰国の引き換えとしてデオンがスパイ生活で得た数々の機密文章の提出と、死ぬまで女性の姿でいることを条件として出した。
 なるほどデオンが女性を押し通せば、妃との男女の関係が無かったことになる。しぶしぶデオンはこのことに従う。
 帰国したあとのデオンは、デオンの性別に興味を持つ多くの大衆に絶大な人気があったという。
またデオンは時としてフェンシングの剣を握り、スカートをまくしあげて決闘をおこなったと伝えられている。
 デオンが死亡した時には、医者化゛その死体を見分し、男性らしからぬ胸のふくらみと、小さな男性器をみつけたと伝えられている。





79本当にあった怖い名無し2012/04/01(日) 03:51:54.86 ID: ID:hknPES8d0

クラインフェルターなのでは


クラインフェルター症候群(Wikipedea)

832012/04/07(土) 07:42:50.36 ID: ID:OGIUl3Kh0

大師の弟子

大師御廟は撮影禁止だと本山を案内してくれた僧侶は言った。
厳粛な佇まいの大師御廟を参拝した後で、
ふと裏手が気になった。
覗き込むと無数の石塔ともいえぬような石が寄り添うように無数にある。
「これはなんですか?」
案内してくれた僧侶に尋ねると、僧侶は其方に手を合わせて
「修行中に亡くなれた方たちですよ」
と教えてくれた。
「しかし数が多すぎる。どうして、このような祀られ方をされているのですか」
「昔は、修行のさなかに気が狂うというような事がおおかったと聞いております」
 詳しく話を聞くと、まだ仏教の実践が試行錯誤の段階であった時代、
かの地では高みに登るために中には過激とも思えるような多くの行が行われて、
それで精神を壊して狂い死にする人も多くいたらしいという事。
それらの人々は一番に目指した大師のすぐそばのここに
名も刻まぬまま埋葬されたことがあったという。
「修行と言うのは精神の矯正で、いってみれば精神の奇形のようなものを
目指すところがあるのかもしれません。盆栽などと同じで、
無理に急な力をかけてしまうと、ぽっきりと折れてしまうことがあるのかもしれませんね」
 僧侶は、そう言ってふたたび手を合わせた。












842012/04/07(土) 08:07:49.52 ID: ID:OGIUl3Kh0

サルガッソー海
メキシコ湾流、北大西洋海流、カナリア海流、大西洋赤道海流にと言う
海流の流れに囲まれた長さ3000キロ以上、幅1100キロ以上になる海域。
これらの海流が時計回りに回って巨大な渦を作っているため、この海域は潮の流れが無い状態となり、あらゆる浮遊物が流れ込み滞留している。
特に数百年にわたってサルガッスムと呼ばれる海藻類が密集してそれらが絡み合い、潮の流れのない無風状態が続くとそれらが
半液体状になるまでになってしまい「粘りつく海」ともよばれることがある。
帆船の時代はまさに魔の海域であった。もともと風の弱い亜熱帯に属しているうえに、潮の流れも無くなると
その粘りついた海からに足をとられた帆船は、数週間は身動きがとれなくなるということが常だった。
船乗りは乗員の食糧保全のため、飼料を消費する積荷の馬を捨てる、あるいは食べてしまわなくてはならなくなるので
「馬の緯度」と呼ばれ忌み嫌われた。
この海で風に恵まれず立ち往生してしまうと、何週間も動けずにいる間に船体に海藻が絡みつき、風が吹いたときには
既に動けない状態になってしまっていることがあったという。そのため船乗り達は水と食糧の不足でしばしば全滅したという。
船員が死に絶えて無人となった船は、無人のまま長い間この海域を彷徨うことになる。
やがてはしだいに朽ち果ててゆき、最後には海藻に付着して一緒に流されてきたフナクイムシに
船体を食い荒らされて沈んでいくという。

現在でもこの海域は、小型の船舶にとっては危険でサルガッスムがスクリューに絡まってしまうと
そのまま動けなくなることがあるという。そうなると自力で脱出することは厳しくまた岸に流れ着くこともない。
何らかの事情で救難信号を発することが出来なければ、船は乗組員が死に絶えた後も
そのままその海域を漂い続けていることになるという。






引用元:不思議やオカルト話を披露するスレ

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