引用元: ・∧∧山にまつわる怖い・不思議な話Part38∧∧
231: 鼠の天麩羅 2008/06/29(日) 20:04:59 ID:yJxwvKUv0
知人の劇団員が、地元の猟師さんの笑い話を元にまとめて、劇を作ったことがある。
長くなりますが、よろしければ暇つぶしにどうぞ。
元号がいくつか前の時代のお話。
木樵と炭焼きと猟師を兼業で生活している老人と、その弟子の少年が、
二人で細々と暮らしていた。
ほんの童子の頃から手伝いを続けていた少年も、もう一人前と認められる
ようになり、老人は、猟の獲物の肉と皮、山菜や茸を麓の集落に売りに出る間、
少年は一人で小屋で留守を守るようにと言われた。
初めて、一人前の男と認められたようで、少年は、多少の不安はあったものの、
喜び勇んで引き受けた。
老人を見送った少年は、日頃の習慣に従って、山道具の手入れをし、薪を拾い、
怠りなく日常の仕事を片付けていった。とはいえ、いつもの老人の厳しい眼が
無いことは、まだ幼さの残る少年の心を浮き立たせるには十分で、人様の迷惑に
ならない範囲での自由を満喫していた。
いつもの決まった仕事を終えた後は、近くの小川で釣りに興じ、小屋に戻っては
老人の書物を紐解いてみたり。そして、その中で、一つの話が眼を引いた。
「稲荷神社と鼠の天麩羅」についてだった。
長くなりますが、よろしければ暇つぶしにどうぞ。
元号がいくつか前の時代のお話。
木樵と炭焼きと猟師を兼業で生活している老人と、その弟子の少年が、
二人で細々と暮らしていた。
ほんの童子の頃から手伝いを続けていた少年も、もう一人前と認められる
ようになり、老人は、猟の獲物の肉と皮、山菜や茸を麓の集落に売りに出る間、
少年は一人で小屋で留守を守るようにと言われた。
初めて、一人前の男と認められたようで、少年は、多少の不安はあったものの、
喜び勇んで引き受けた。
老人を見送った少年は、日頃の習慣に従って、山道具の手入れをし、薪を拾い、
怠りなく日常の仕事を片付けていった。とはいえ、いつもの老人の厳しい眼が
無いことは、まだ幼さの残る少年の心を浮き立たせるには十分で、人様の迷惑に
ならない範囲での自由を満喫していた。
いつもの決まった仕事を終えた後は、近くの小川で釣りに興じ、小屋に戻っては
老人の書物を紐解いてみたり。そして、その中で、一つの話が眼を引いた。
「稲荷神社と鼠の天麩羅」についてだった。
232: 鼠の天麩羅 2008/06/29(日) 20:06:10 ID:yJxwvKUv0
…かつて、農耕・穀物の神であった稲荷は、仏教との融合で、豊川稲荷などのダキニ天の
考え方なども交わり、狐の姿でも知られるようになっていた…
…稲荷神社になぜ油揚げを供えるのか。豆腐の油揚げは代用品であり、本来は
狐にとって最高の好物である、鼠の天麩羅である…
…だがそれでは処分にも困るため、精進料理など模して、豆腐を揚げた。揚げて
あるのですぐには腐らず、お供え終えた後は皆でわけて食べられるため、これが広まった。
これを甘辛く味付けをし、飯を詰めた物が稲荷寿司である…
…豆腐の油揚げももちろんだが、本家本元の鼠の天麩羅、できたてのまだ熱いものなどは、
狐には命がけでも口にしたいもので、ありとあらゆる手を使ってでも食べに来る。
昔話では、そこで相手に山菜や大物の川魚を捕ってこさせるという笑い話もある…
…そんなわけで、古来、狐を捕まえる罠には、鼠の天麩羅を餌にするのが定石である…
そう言えば、師である老人も、同じような内容を、よく言っていた。美女に化けたり
厳つい異人に化けたり、あるいは術にかけて眠らせたりとして、気がつくと、鼠天麩羅は
一つ残らず奪われてしまっているとのこと。
少年は、悪戯心を抑えきれなくなって、起ち上がった。
考え方なども交わり、狐の姿でも知られるようになっていた…
…稲荷神社になぜ油揚げを供えるのか。豆腐の油揚げは代用品であり、本来は
狐にとって最高の好物である、鼠の天麩羅である…
…だがそれでは処分にも困るため、精進料理など模して、豆腐を揚げた。揚げて
あるのですぐには腐らず、お供え終えた後は皆でわけて食べられるため、これが広まった。
これを甘辛く味付けをし、飯を詰めた物が稲荷寿司である…
…豆腐の油揚げももちろんだが、本家本元の鼠の天麩羅、できたてのまだ熱いものなどは、
狐には命がけでも口にしたいもので、ありとあらゆる手を使ってでも食べに来る。
昔話では、そこで相手に山菜や大物の川魚を捕ってこさせるという笑い話もある…
…そんなわけで、古来、狐を捕まえる罠には、鼠の天麩羅を餌にするのが定石である…
そう言えば、師である老人も、同じような内容を、よく言っていた。美女に化けたり
厳つい異人に化けたり、あるいは術にかけて眠らせたりとして、気がつくと、鼠天麩羅は
一つ残らず奪われてしまっているとのこと。
少年は、悪戯心を抑えきれなくなって、起ち上がった。
233: 鼠の天麩羅 2008/06/29(日) 20:07:34 ID:yJxwvKUv0
日が落ちる頃、小屋のすぐ近くの小川のほとりで、鍋にごま油を熱していた。
物心ついた頃から山で生活している少年にとって、山鼠を捕まえてくることはさほど
難しいものではなく、まるまると太ったものを五、六匹選んで、後は逃がしてやり、
手早く〆めて、粉を付け、たぎった油に浮かべ始めた。ぱちぱちと油の弾ける音とともに、
ほどなく、新しい肉の熱せられる、意外なほど香ばしい匂いが立ちこめてきた。
もし狐が来なかったら、薬食いということで、自分で食べてしまおうかと、少年は、
くすねてきたどぶろくの徳利と傍らに、一人で笑っていた。
反対側には、魔物除けに、刃を紙のように研ぎ澄ました山鉈を起き、さらには煙管と
煙草も容易をしておいた。鼠の天麩羅が色よく揚がる頃には、たっぷりと唾を眉に付けて
毛を寝かせて、「ござんなれ」と待ち構えていた。
待つほどもなく、焚き火の届かない闇の奧に、二つ並んだ緑色の灯が、ちろちろと
またたきはじめた。少年は気づかぬふりで、香ばしい肉の匂いをふりまく、揚げたての
鼠の天麩羅を木皿に盛ると、小皿にツユを注ぎ、徳利を引き寄せ、今にも箸を付けるような
姿を見せてやった。
「キーッ、キーッ」枯葉色の毛並みを波打たせ、闇の向こうから狐はしきりに歯をむいて
なにやら怪しいそぶりを見せている。しっかりと眉を濡らした少年は、狐のあやしのわざに
かかったそぶりで、ぽかんとしてみると、闇の奧から、狐が数匹、嬉しげに駆け寄ってきて、
木皿の鼠の天麩羅に口を伸ばし…
物心ついた頃から山で生活している少年にとって、山鼠を捕まえてくることはさほど
難しいものではなく、まるまると太ったものを五、六匹選んで、後は逃がしてやり、
手早く〆めて、粉を付け、たぎった油に浮かべ始めた。ぱちぱちと油の弾ける音とともに、
ほどなく、新しい肉の熱せられる、意外なほど香ばしい匂いが立ちこめてきた。
もし狐が来なかったら、薬食いということで、自分で食べてしまおうかと、少年は、
くすねてきたどぶろくの徳利と傍らに、一人で笑っていた。
反対側には、魔物除けに、刃を紙のように研ぎ澄ました山鉈を起き、さらには煙管と
煙草も容易をしておいた。鼠の天麩羅が色よく揚がる頃には、たっぷりと唾を眉に付けて
毛を寝かせて、「ござんなれ」と待ち構えていた。
待つほどもなく、焚き火の届かない闇の奧に、二つ並んだ緑色の灯が、ちろちろと
またたきはじめた。少年は気づかぬふりで、香ばしい肉の匂いをふりまく、揚げたての
鼠の天麩羅を木皿に盛ると、小皿にツユを注ぎ、徳利を引き寄せ、今にも箸を付けるような
姿を見せてやった。
「キーッ、キーッ」枯葉色の毛並みを波打たせ、闇の向こうから狐はしきりに歯をむいて
なにやら怪しいそぶりを見せている。しっかりと眉を濡らした少年は、狐のあやしのわざに
かかったそぶりで、ぽかんとしてみると、闇の奧から、狐が数匹、嬉しげに駆け寄ってきて、
木皿の鼠の天麩羅に口を伸ばし…
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234: 鼠の天麩羅 2008/06/29(日) 20:09:18 ID:yJxwvKUv0
「こらあっ!」笑いを押し殺した少年の、雷のような不意の一喝に、鉄砲に打たれたように
飛び上がって、森の奧に逃げ込んでしまった。
少年はひとしきり腹を抱えて笑った後、なおも焚き火のちかくに鼠の天麩羅を置いて、
残酷な匂いを立て続けていた。また、ちろり、ちろりと闇の奧に、緑色の灯火が瞬く。
しきりと首を傾げているようだが、また、「キーッ、キーッ」と、歯をむいて、
前にも増して思念を凝らしたあやしいそぶりを見せ始めた。笑っていた少年は、
焚き火のぬくもりが、一時ごとに、布団にくるまっているような眠気をもたらしている
ことに気づいて、さては狐共、眉唾のまじないを破るような熱意で、こちらをばかそうと
しているなと思い当たり、山鉈の鞘を払って、眠気を振り払うように目の前を薙いでみせた。
「やまのひとやのつれづれに あげてみたるはやまねずみ
ばかすあやかししるまいか わがなりわいはりょうしにて」
詩吟気取りの戯れ句を、わざわざ声高に聞かせてやりながら、白刃を焚き火にきらめかせると、
また、狐はぽんと森の奧に逃げ込んでしまった。
またひとしきり笑った少年は、酒で少し口を湿らすと、上機嫌で鉈を鞘に収め、
膝に横たえた。相変わらず、焚き火の側で暖められた鼠の天麩羅は、少年の空きっ腹にも
答えるようなよい香りを放っている。もう狐も来るまい、と、少年は箸をとって、一番上の
天麩羅をつまみ上げた。
飛び上がって、森の奧に逃げ込んでしまった。
少年はひとしきり腹を抱えて笑った後、なおも焚き火のちかくに鼠の天麩羅を置いて、
残酷な匂いを立て続けていた。また、ちろり、ちろりと闇の奧に、緑色の灯火が瞬く。
しきりと首を傾げているようだが、また、「キーッ、キーッ」と、歯をむいて、
前にも増して思念を凝らしたあやしいそぶりを見せ始めた。笑っていた少年は、
焚き火のぬくもりが、一時ごとに、布団にくるまっているような眠気をもたらしている
ことに気づいて、さては狐共、眉唾のまじないを破るような熱意で、こちらをばかそうと
しているなと思い当たり、山鉈の鞘を払って、眠気を振り払うように目の前を薙いでみせた。
「やまのひとやのつれづれに あげてみたるはやまねずみ
ばかすあやかししるまいか わがなりわいはりょうしにて」
詩吟気取りの戯れ句を、わざわざ声高に聞かせてやりながら、白刃を焚き火にきらめかせると、
また、狐はぽんと森の奧に逃げ込んでしまった。
またひとしきり笑った少年は、酒で少し口を湿らすと、上機嫌で鉈を鞘に収め、
膝に横たえた。相変わらず、焚き火の側で暖められた鼠の天麩羅は、少年の空きっ腹にも
答えるようなよい香りを放っている。もう狐も来るまい、と、少年は箸をとって、一番上の
天麩羅をつまみ上げた。
235: 鼠の天麩羅 2008/06/29(日) 20:10:47 ID:yJxwvKUv0
「キーッ、キーッ!」闇の奧で、切羽詰まったような獣のうなり声。そして、ちろちろと瞬く
緑の火は、五、六対にまで増えていた。なんと根気の良いこと、と半ば感心しつつ、少年は
箸を引っ込めて、もう一度念入りに眉を唾で濡らした。
と、二、三度の瞬きの間に、少年は、目の前が白く霞むのに気がついた。
なんと、十歩先も見えないような深い霧が、焚き火の回りを包み始めていたのだ、
「火の側で、霧が出るなんぞ…」流石に呆れかえった少年だが、師の煙草入れを取り上げて、
刻み煙草を煙管に詰めると、焚き火の火を移した。
「キッ…」狼狽したような獣の声に、にやにや笑いを浮かべると、身体を斜に構えて、音を立てて
煙草をのみ、ぷかりと煙を夜空へ吹き上げて見せた。
目の前に垂らされていた布が取り去られたように、深い霧はぱっと消え去り、四匹ほどの狐が、
唖然としてこちらを見つめていた。
「んんっ?」少年は、芝居げたっぷりに音を立てて煙管を打つと、大げさな動作で山鉈の柄を
掴んで見せた。
狐たちは鳴きもせず、いっさんに森の奧に逃げていってしまった。
少年は、腹が空っぽになるほど夜空に向かって笑うと、ふと、狐たちの必死さが
おかしくなってきた。山の恵みで生かしてもらっている我が身と、師が繰り返し
教えていたこともある。こちらの楽しみに付き合ってもらった代金に、半分ほどは
渡してやってもいいだろう、と思った。
緑の火は、五、六対にまで増えていた。なんと根気の良いこと、と半ば感心しつつ、少年は
箸を引っ込めて、もう一度念入りに眉を唾で濡らした。
と、二、三度の瞬きの間に、少年は、目の前が白く霞むのに気がついた。
なんと、十歩先も見えないような深い霧が、焚き火の回りを包み始めていたのだ、
「火の側で、霧が出るなんぞ…」流石に呆れかえった少年だが、師の煙草入れを取り上げて、
刻み煙草を煙管に詰めると、焚き火の火を移した。
「キッ…」狼狽したような獣の声に、にやにや笑いを浮かべると、身体を斜に構えて、音を立てて
煙草をのみ、ぷかりと煙を夜空へ吹き上げて見せた。
目の前に垂らされていた布が取り去られたように、深い霧はぱっと消え去り、四匹ほどの狐が、
唖然としてこちらを見つめていた。
「んんっ?」少年は、芝居げたっぷりに音を立てて煙管を打つと、大げさな動作で山鉈の柄を
掴んで見せた。
狐たちは鳴きもせず、いっさんに森の奧に逃げていってしまった。
少年は、腹が空っぽになるほど夜空に向かって笑うと、ふと、狐たちの必死さが
おかしくなってきた。山の恵みで生かしてもらっている我が身と、師が繰り返し
教えていたこともある。こちらの楽しみに付き合ってもらった代金に、半分ほどは
渡してやってもいいだろう、と思った。
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236: 鼠の天麩羅 2008/06/29(日) 20:12:20 ID:yJxwvKUv0
と、その時。しゅく、しゅく、しゅくと、哀しげな泣き声が木々の合間から聞こえてきて、
そこから、すっかりしょげかえった風情の狐が一匹、べそをかきながらやってきた。
まさか正面から姿を現すとは思っていなかった少年は意表を突かれて、それでも
用心をとかずに見つめていると、狐は、べそをかいたまま、人の言葉で泣き続けた。
「いままで、あなたさまを化かして、かすめ取ろうとしてしまって、申し訳ありませんでした。
あなたさまのこしらえられた、その若鼠の天麩羅は、わたしたち狐にとっては、
一生一度のご馳走なのです。魚や、木の実、茸でも、わたくしどもでもってこられる
ものであったら、なんでも差し上げますから、どうか一匹だけでもお裾分けを」
渡してやるつもりのところに、しんから困り果てているようすの狐に、流石に少年は
酷いことをした気になって、全て渡してやろうかとも思ったが、自分自身も昼間からの
働きで腹も酷く空いているし、あと一度だけ困らせてやろうと思った。それが無理だと
降参したら、酒も付けて渡してやろう。少し考えたが、一番の無理難題を思いついた。
「よしわかった。それじゃあ、俺は、独り身で夜が寂しい。若い娘を所望だ」
狐は、何も言わずに俯くと、焚き火の光の輪から去って言ってしまった。
もしかして、あまりの難題に、すっかり落ち込んでしまって、もう来ないだろうか?
それとも、一生一度のご馳走を匂いだけ嗅がせて渡さなかったことで、山の狐ぐるりを
敵に回してしまったのだろうか?
そこから、すっかりしょげかえった風情の狐が一匹、べそをかきながらやってきた。
まさか正面から姿を現すとは思っていなかった少年は意表を突かれて、それでも
用心をとかずに見つめていると、狐は、べそをかいたまま、人の言葉で泣き続けた。
「いままで、あなたさまを化かして、かすめ取ろうとしてしまって、申し訳ありませんでした。
あなたさまのこしらえられた、その若鼠の天麩羅は、わたしたち狐にとっては、
一生一度のご馳走なのです。魚や、木の実、茸でも、わたくしどもでもってこられる
ものであったら、なんでも差し上げますから、どうか一匹だけでもお裾分けを」
渡してやるつもりのところに、しんから困り果てているようすの狐に、流石に少年は
酷いことをした気になって、全て渡してやろうかとも思ったが、自分自身も昼間からの
働きで腹も酷く空いているし、あと一度だけ困らせてやろうと思った。それが無理だと
降参したら、酒も付けて渡してやろう。少し考えたが、一番の無理難題を思いついた。
「よしわかった。それじゃあ、俺は、独り身で夜が寂しい。若い娘を所望だ」
狐は、何も言わずに俯くと、焚き火の光の輪から去って言ってしまった。
もしかして、あまりの難題に、すっかり落ち込んでしまって、もう来ないだろうか?
それとも、一生一度のご馳走を匂いだけ嗅がせて渡さなかったことで、山の狐ぐるりを
敵に回してしまったのだろうか?
237: 鼠の天麩羅 2008/06/29(日) 20:14:11 ID:yJxwvKUv0
流石に戯れ事も過ぎたかと、心配になってきた少年が首を傾げていると、かすかな音が
森の奧から届いてきた。
しゃん しゃん
しゃん しゃん
銀の鈴の震える音と共に、ぱらぱらと小雨が一瞬行き過ぎる。思わず天麩羅を
かばおうとした少年は、焚き火の側に、白い姿がたたずんでいるのに気がついた。
白の筒袖に白袴、背中までの鴉の濡れ羽色の黒髪に、抜けるような色白の、
見たこともないような美しい娘だった。
娘は、もとより細い眼を線にして微笑む。』
『お待たせいたしました。さきほどの狐です。まだ子を産んでいないので、若いつもりなのですが』
少年は、跳ねるように起ち上がったまま、あまりのことに動けなくなってしまう。
娘は、細い指で、自分の袴の帯をするすると解き始めた。若者は、必死に声を励ました
「ま、また化かすつもりだろう!」袴が落ちて、娘はもう一度微笑んだ。
『あなたさまは、ちゃんと眉を濡らしていらっしゃいます』指が、若者の眉を撫でる
「朝、眼が醒めたら、肥溜めにでもつかっているわけか?」震える声に、娘は首を傾げる
『あなたさまは、鉈も、煙草も、まだお持ちでいらっしゃいます』
風に押されたように踏鞴を踏む少年を、娘が柔らかく覆い被さった。
森の奧から届いてきた。
しゃん しゃん
しゃん しゃん
銀の鈴の震える音と共に、ぱらぱらと小雨が一瞬行き過ぎる。思わず天麩羅を
かばおうとした少年は、焚き火の側に、白い姿がたたずんでいるのに気がついた。
白の筒袖に白袴、背中までの鴉の濡れ羽色の黒髪に、抜けるような色白の、
見たこともないような美しい娘だった。
娘は、もとより細い眼を線にして微笑む。』
『お待たせいたしました。さきほどの狐です。まだ子を産んでいないので、若いつもりなのですが』
少年は、跳ねるように起ち上がったまま、あまりのことに動けなくなってしまう。
娘は、細い指で、自分の袴の帯をするすると解き始めた。若者は、必死に声を励ました
「ま、また化かすつもりだろう!」袴が落ちて、娘はもう一度微笑んだ。
『あなたさまは、ちゃんと眉を濡らしていらっしゃいます』指が、若者の眉を撫でる
「朝、眼が醒めたら、肥溜めにでもつかっているわけか?」震える声に、娘は首を傾げる
『あなたさまは、鉈も、煙草も、まだお持ちでいらっしゃいます』
風に押されたように踏鞴を踏む少年を、娘が柔らかく覆い被さった。
238: 鼠の天麩羅 2008/06/29(日) 20:16:39 ID:yJxwvKUv0
「俺は、取り殺されて、しまうのか?」
泣きそうになった少年に、金色に眼を光らせた娘が、艶やかに苦笑する。
「一生一度のご馳走をくださるかたに、そんな無体はいたしません。ただ…」
少年の着物をほどいていく手は、一対ではなかった。
「あのように焦らされたのですから、少しだけ、嬲られるのはお覚悟ください」
少年の回りには、同じように、筒袖、白袴姿の娘達が、微笑みながら「待って」いる。
一番年かさの娘が、まだ暖かい鼠の天麩羅の木皿を捧げ持って、深々と一礼していた。
数日後、師の老人が戻ったとき、小屋のなかも、申しつけていた仕事も、いっそう
きちんと片付いていたものの、弟子の少年が、魂を抜かれたように虚ろな顔をしているのを
見て、さては山の神様に魅入られたかと不安になり、井戸端に呼び寄せて、冷水を何倍も
頭からかけると、剥いだ着物の下に、いくつもの歯形や爪痕が赤く青く残っているのに
気づいて、硬い拳骨を降らせたのだった。
深くは追求しなかったが、なんとなく、事情はそれで察したようだった。
それからも、少年は、炭焼きと猟と木樵の毎日を過ごしたが、師の眼を盗んでは、
鼠の天麩羅をことあるごとに作っていたというお話。
どっとはらい。
泣きそうになった少年に、金色に眼を光らせた娘が、艶やかに苦笑する。
「一生一度のご馳走をくださるかたに、そんな無体はいたしません。ただ…」
少年の着物をほどいていく手は、一対ではなかった。
「あのように焦らされたのですから、少しだけ、嬲られるのはお覚悟ください」
少年の回りには、同じように、筒袖、白袴姿の娘達が、微笑みながら「待って」いる。
一番年かさの娘が、まだ暖かい鼠の天麩羅の木皿を捧げ持って、深々と一礼していた。
数日後、師の老人が戻ったとき、小屋のなかも、申しつけていた仕事も、いっそう
きちんと片付いていたものの、弟子の少年が、魂を抜かれたように虚ろな顔をしているのを
見て、さては山の神様に魅入られたかと不安になり、井戸端に呼び寄せて、冷水を何倍も
頭からかけると、剥いだ着物の下に、いくつもの歯形や爪痕が赤く青く残っているのに
気づいて、硬い拳骨を降らせたのだった。
深くは追求しなかったが、なんとなく、事情はそれで察したようだった。
それからも、少年は、炭焼きと猟と木樵の毎日を過ごしたが、師の眼を盗んでは、
鼠の天麩羅をことあるごとに作っていたというお話。
どっとはらい。
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