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民俗学的

【風習・信仰】日本って穢れ文化あるから陽信仰が強いのかな。穢れって汚れと気枯れの2種類あるんじゃないかと思う。

コメント 1 編集・公開: オカルト速報

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243:名無しのオカルト 2017/03/03(金)12:57:58.35 ID: VbICyztu0.net

日本って穢れ文化あるから陽信仰が強いのかなー、
えた非人のダイレクトな身分制度もあったし、
穢れに当たるものや、陰と認識したものを
排除しようとする傾向があるんですよね。
最近だと福島出身者への迫害とかはその事象に当たると思います。

西洋みたいな現世利益に寄った悪魔的な存在がいないのも
影響してるんですかね。
過激じゃない一般的な悪魔教の教義って物質的な分、
現実的、実際的で世を生きるのに役に立つ部分もあるじゃないですか。
そういうのは陰の働きなんですよね。
日本でいうとやっぱり稲荷神が強いのかなあ。
でもあんまり知らないですね。




 

245:名無しのオカルト 2017/03/03(金)15:22:27.99 ID: 4W9YrjSU0.net

そもそも陰と陽に良し悪しなんてないから。三貴子に
月読がいる理由を考えろや




274:名無しのオカルト 2017/03/04(土)09:10:21.66 ID: QkLzeQ7y0.net

>>245
その通りなんですよ。元々良い悪いはない。
国にも陰陽五行の傾向はあるので、そのタイプの話なんです。

>>248 >>257
(略)




330:名無しのオカルト 2017/03/06(月)15:36:24.46 ID: Pv7LEJwW0.net

>>245
月詠はいなかったという大胆な説もある。




246:名無しのオカルト 2017/03/03(金)15:49:27.69 ID: qxSkpexQ0.net

呪いとか生贄とか昔からあるからね
戦後のココ最近だけじゃないかな陰の排除なんて




247:名無しのオカルト 2017/03/03(金)16:00:48.29 ID: qxSkpexQ0.net

諏訪大社なんかずっと生首を捧げる儀式を最近までやってたし
流石に今は反発がつよくてカエルを生贄にしてるようだけど
陰の排除なんてこの数十年だけの一時的な流行りでしか無い
だから大局的にみればあんまり人権だの平和だのに傾倒すんのこそカルトなんだろうね




264:名無しのオカルト 2017/03/03(金)20:40:12.38 ID: pde1LoLy0.net

>>247
最近まで生首(とだけ言うと人の頭と思うよ)捧げてたなら大変だw
御頭祭に鹿の頭をたくさん供えてたんだよ。
今はいろいろ困難だから剥製になった。

生き蛙の串刺し供えるのは別の祭祀。
動物アイゴーの非難を浴びながら頑張ってやってる。
お諏訪さまはまあ、特殊なところだから…




248:名無しのオカルト 2017/03/03(金)17:09:03.95 ID: uqGhT18x0.net

触穢
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A6%E7%A9%A2

触穢とは、神道上において不浄とされる穢に接触して汚染されること。
後に陰陽道などとも結びついて、中世日本の触穢思想へと発展していくことになった。

古来より神道においては人間・動物の死と出産は不浄のものとして禁忌とされ、
また、血の流出や神道における国津罪に相当する病気にかかる事は穢が発生する原因であると考えられてきた。

そこで、これに関連した穢物(死体など)・穢者(既触穢者・非人・女性など)に直接接触する事は勿論、
垣根や壁などで囲まれた同一の一定空間内に穢物・穢者とともにいただけでも場合によっては汚染されると考えられていた
(特に同じ火にあたる事、同席する事、飲食をともにする事は直接接触する事に近い行為とされた)。

感染された人は一定の期日を経るか、祓を受けるまでは神社への参拝や神事への参加、公家の場合には参内を控える事が求められてきた。
『延喜式』においては、人の死穢30日、産穢7日、六畜の死穢5日、産穢3日の謹慎が定められていた。

律令制が衰退すると、触穢は衰退するどころか陰陽道と結びついて強力な迷信として社会に定着して、触穢思想として発展することになる。
触穢思想が前近代における日本人の衛生観念の発展に貢献したという見方がある一方で、
女性や、葬送などで死体の処理を扱う人々(非人)、身体障害者や癩病などの肉体的なハンデを背負った人々、
言語・文化的に相容れない慣習を持つ人々などは、祓などでは清浄化は不可能であり、
その存在自体が穢であるという発想すら生じて差別や偏見を正当化する根拠として用いられるようになった。




249:名無しのオカルト 2017/03/03(金)17:11:57.14 ID: uqGhT18x0.net

脇田晴子(滋賀県立大学名誉教授)

日本古代にはもともと穢れの観念があったが、祓えば清められる程度のものとして認識されおり、
死の穢れなどを忌む触穢思想のような不浄観は存在しなかった。
七世紀に、百済人の触穢思想による死穢を忌避する風習に人情が薄いと驚いている(『日本書紀』皇極天皇元年五月乙亥日条)。
ところが、触穢思想が朝鮮半島を経由して入ってくると、
それは直接的、間接的に死穢その他に触れている人間を差別する構造に転化することになった。
それは天然痘などの悪疫の流行が、死霊、怨霊のもたらすものと観念されたことからはじまる。
疫死による恐怖感が触穢思想を蔓延させることになった。

たとえば、天皇家の古墳築造や葬送を担っていた土師氏は、葬送のことを司るのは凶事であり、人に嫌がられるとして、
天皇の親戚であることを利用して葬送の責務から外してもらっている。そして姓も大江、菅原、秋篠と改め、外交、文書作成、
学問などの官僚貴族としての道を歩みはじめる(直木孝次郎「土師氏の研究」『日本古代の氏族と天皇』塙書房、一九六四年)。
触穢思想の展開によって、それにかかわる人びとは卑賤視されるようになり、
それから逃れられる人は逃れるから、触穢思想にもかかわらず、それに従事して葬送という死穢に携わったのは、非人たちであった。
しかもこの世に恨みを残して非業の死を遂げた者は怨霊として悪疫病をまき散らすと観念されていたので、
その死体を火葬、埋葬するなどの処理をして清め、鎮魂するのが非人の役割となった。
常に穢れにかかわっているから非人と接触すると穢れると考えられたのである。




250:名無しのオカルト 2017/03/03(金)17:14:30.29 ID: uqGhT18x0.net

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8764727.html?pg=4

太古の人間の、生命の不思議に対する畏れの感情から自然発生したとも考えられますが、
記紀以降の穢れの観念を象徴しているのは、たぶん、記紀に出てくるイザナミの腐敗の描写でしょう。
しかし、記紀編纂前に外来の文化が入ってきていますし、それ以前の日本には、必ずしも死を穢れとする習俗が顕著には見られなかったようです。
高取正男の「神道の成立」には、日本書紀の記述として、642年、百済の義慈王の子の翹岐が来朝したとき、
従者の一人に続いて子供が一人死んだときの記述が引用されています。

是の時、翹岐と妻と、児の死にたることを畏じ忌みて、果たして喪に臨まず。
凡そ百済・新羅の風俗、死亡者あるときは、父母兄弟夫婦姉妹と雖も、永ら、自ら看ず。
此れを以て観れば、慈無きが甚だしきこと、豈禽獣に別ならむや。

このような態度は、平安中期ごろまでの貴族の喪葬での行為と同じだが、日本書紀では理解しがたい行動とみなされていた、とあります。
「神道の成立」にはさらに、儒教の道徳思想で神道の祓を説明することは難しい、という津田左右吉の説明を引用し、
仏教の母国インドでは、浄と穢の観念は早く「マヌ法典」のなかにみえる、とあります。以下、部分的に引用します。

「無着、世親によって大成された唯識説は、もともと禅定を意味する瑜伽行(ヨーガ)の実践家である瑜伽師によって組織され、伝承された。
・・・世親の祖述した如来蔵説では成仏の可能性を如来像とも仏性とも呼び、
凡夫の心は汚れているが自性清浄心たりうるし、修行によって自性清浄心の全現したものが如来と説いている。
・・・こうした考え方は中国において儒教や道教に大きな影響を与え、それらが一体となって日本に伝えられたことはいうまでもない。
・・・浄穢の観念は宗教的真実を示すものでありながら、即物的に了解されたとき、現世におけるさまざまな禁忌を理論づける格好の論拠を提供する。
「女奴」は下婢であるからではなく、けがれているとの理由で塔に近づくのを禁じられる。
死とか産、血といった人間の生命現象に直結する忌みごとは、死穢、産穢、血穢の三不浄とされ、忌避の理由づけとなる。」




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251:名無しのオカルト 2017/03/03(金)17:16:24.61 ID: uqGhT18x0.net

穢れと結界に関する一考察 「ケガレ」と「ケ」
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/7966/1/itoh.pdf

天武天皇は、陰陽道・先進的文化の摂取に積極的だった人物であった。
また、陰陽呪術の具体的な実践者・理解者であり、その具体的効果を知っていたようである。
陰陽道を利用することが、神秘的な王権の権威の昂揚にもつながり、権力の維持にも密接に関係してくるのである。

陰陽道の日本への影響は『記紀神話』の中にも認められ、イザナギノ命の呪的逃走だけでも、
桃子三箇を使用することで、悪霊を追い返すことや此岸と彼岸を別け隔て、その間に塞の神をおくところなどにも現れている。

拙論「古代の呪術とその分析」名古屋大学大学院国際言語文化研究科修士論文では、
陰陽道など中国的な影響の強い朝廷側の発想と民衆側の発想という文化的基盤の差異が、
災禍をも「タタリ」の信仰と捉える形で発展したと考察している。

中世の「ケガレ」を分析しようとする時、
古墳時代から続く民衆の「ケガレ」の意識とそれとは違う陰陽道の影響を強く受けた朝廷側の「ケガレ」観念が、
双方入り混ざって資料に反映しているため、より複雑で、理解しにくいものなってしまっている。




252:名無しのオカルト 2017/03/03(金)17:18:26.60 ID: uqGhT18x0.net

http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/2d50806f9e670d95df1f2000e5657b60

 >うーん、罪=穢れと見なされるようになった、ということでしょうか。

 この問題については次の文章の中にある部分が参考になるかと。

 http://www.iwata-shoin.co.jp/shohyo/sho14.htm

「日本の民俗社会における死穢・産穢・血穢などは一時的な穢れであり、一定の手続きによって祓い・浄化が可能であるのに対して、
仏教の業や因果の思想は、現在の被差別的境遇や姿形をすべて過去世の罪業の結果であると説くことによって、
それらを永続化する作用を果たしてきた」

 これはおおむね、横井清という人が主張していたことと重なるのですが、仏教側の池見澄隆さんは反論されていました。

 「他者や客体のなかに個別的穢れを見る意識から、自己自身の実存のなかに普遍的な不浄や悪業を凝視しそれを主体的に自覚することへの転換」

 それが仏教の果たした仕事である、と。
(私が思うに、一般庶民に浸透したのは横井さんの言われることであり、池見さんの言われることは一部の卓越した仏教者の思索ではないかと)

 で、次の文章の中の小森さんと門馬さんのとこ。

 http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/odake5-3.html

 「穢れ意識というのは、『誰かが誰かを、穢れとしていく事』 という、『関係性の中にある事』としてとらえられる。
別の言い方をすれば、『社会の秩序からはみださせられた(排除された)、それが穢れとして位置づけられていく」

「そして差別とは、差別する側が、差別される側にレッテルを貼る作業で、しかも貼られた側は容易に貼りかえせない。
穢れの場合もそうで、いったん穢れと名指しされた側は自ら剥がすことはなかなか出来ない。」

 というのが、おおむね私の考えてることと同じだと思います。




253:名無しのオカルト 2017/03/03(金)17:22:24.25 ID: uqGhT18x0.net

死穢の概念はいつ現れましたか?
http://kegare.blogspot.jp/2010/12/blog-post_5684.html

 縄文時代(紀元前14000年−紀元前300年)に死体をこの人は生きている時に住んだ村に葬った。
そして死んでしまった小児が生まれたら、この小児の死体を陶器の中に入り、母の家の入り口の前に葬った。
母は死んでしまった小児の骨壷に立てたら、小児の魂が母の中に戻る事が出来ると思われたためであった。
縄文時代の人は「死んだ人と一緒に生きていた」−死体の近くに住んでいたため、
たしかこの時代にケガレ(特に死穢)の概念はまだなかったと思われている。先祖の死体を神聖なものとして大事にしたそうだ。

 弥生時代(紀元前300年−紀元200年)に死体を葬ることは大きな変化をとげた。
この時代に死体を村の外にある墓地で葬った。弥生時代の人は先祖の代わりに神を神聖なものとして大事にしたそうだ。
死んだ先祖のために儀式がなくなって、死んだ人の体は怖くなったそうだ。
そのために、死穢の概念が弥生時代に現れたと思う人類学者がいる。
この仮説を証明するのは3世紀に書いた「魏志倭人伝」という中国の年代記。
この年代記は様々な日本の儀式についてインフォメーションを含み、葬り方についてもインフォメーションを含んでいる。
魏志倭人伝によると日本人は死体を棺におさめ葬ったということである。
その上、死んでしまった人の家族は10日間に哀悼し、哀悼の時にお肉を食べなかったそうだ。
他の葬式に入る人はたくさん飲んだり、踊ったり、歌を歌ったりしていた。
10日間の後で死んだ人の家族は川に禊をした。禊とは水を使って、ケガレを洗うことだ。

 このような死んだ人と接触する後の払うことは初めて「古事記」という712年に書いた日本の年代記で現れる。
古事記によるとイザナミという神は火の神を生んだ後で死んでしまった。
イザナギというイザナミのご主人は女房を見つけるために黄泉の国という死んだ人の国に行った。
女房と会った時、彼女を見ないと約束した。けれどもイザナギは約束を破り、イザナミを見、彼女の腐っている体を見た。
そのため、イザナギは逃げ、泉の中でお祓いをした。古事記は8世紀に書いたため、この時に死穢の概念が現れたと思う人類学者もいる。




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257:名無しのオカルト 2017/03/03(金)17:57:10.74 ID: uqGhT18x0.net

http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-25.html

『古事記』冒頭あたりでは、天地開闢の際に「高天原」に最初に出現した神が天之御中主神であるとしています。
その後、高御産巣日神、神産巣日神が現れ、すぐに姿を隠したとしています。
この三柱の神を造化三神といい、性別のない「独神」といいます。
実は、道教経典の記録には、「高天、天原もしくは皇天原に神がいます」という趣旨のことが書いていて、
これが古事記の「高天原」の元ネタであり、この三柱の神々は道教での「三気の尊神」が元ネタでしょう。

古事記はその後、次々と生まれて来る神々の名をあげるわけですが、
そのときの国の状態を「国稚く浮かべる脂の如くして、くらげなすただよえる時」と描写している。
そこにイザナキとイザナギが天の沼矛を突き立てて、矛からしたたり落ちたしずくがオノゴロジマになったと古事記は続けます。
この「浮かべる脂の如くして、くらげなすただよえる」という描写は、
道教の錬金術(錬丹術。科学の源流)の経典『周易参同契』にある表現とそっくりなのです。

天武天皇が道教家であることを考えると間違いなく元祖日本思想とされる古事記ですら道教思想が色濃いことがわかります。

・死んだイザナミに会いにイザナギが黄泉の国に行く神話で、イザナギはイザナミに驚き(見るな→絶対に見る はお約束)、
桃子三箇を投げつけて鬼の追跡を振り切り、黄泉の国から逃げ切ります。
この鬼を撃退するために桃子三箇を投げつけるというのも、
道教の文献『漢武帝内伝』の辟邪に桃実三箇を用いた西王母の故事に基づきます。

道教における桃で魔を払う思想を反映したイザナギの桃投げの後、イザナギは川の水で穢れを払うために目を洗います。
すると、洗った目から天照と月読命、鼻から(なんか嫌ですね)スサノオが生まれます(それって単なる汚れ以下略)。
それは道教のしきたりそのままです。道教の経典『黄素四十四方経』に死体を見たら目を洗ってみそぎをすることが書かれています。
更に同じ経典『業報因縁経』(生神品)に左右の目が日月となるというふうに書かれています。
月との対比や文字遣いから天照は太陽神でしょう。




259:名無しのオカルト 2017/03/03(金)19:20:33.99 ID: vhDk5fsk0.net

コピペはよそでやってくれんかのう…
目が滑るわい




274:名無しのオカルト 2017/03/04(土)09:10:21.66 ID: QkLzeQ7y0.net

>>245
(略)
>>248 >>257
非常に興味深い資料ありがとうございます。
日本神話の下りは一通り私も読んでいますが、元をたどると日本も中国もインドも同じだという説もありますね。
私はやはりイザナミと中国の呪術国家期の影響を受けた流れが大きいと思いますね。

一つ、中国陰陽から私は入ったんですが、その視点から見ると陰陽道も結構特殊なんですよね。
道教ベース?なんでしょうがいろんなものが混ざって日本独自の宗教(というか学問?)体系になってる。
日本お得意の咀嚼改造文化で、前に書いた鬼門に対する考え方も極端ですし(ここにもおそらく穢れ思想はある)。
まず陰陽は宇宙の法則、自然の有り様で、その中の12支は生から死、再生のサイクルでもある。
本来良いも悪いもないわけです。穢れをなぜここまで嫌うのか?はちょっとした疑問だったのです。




275:名無しのオカルト 2017/03/04(土)11:39:13.72 ID: KO4/qKQ+0.net

陰と陽じゃなくて、清と穢、邪というべきなんじゃないかなとは思う
よどむんは良くない




276:名無しのオカルト 2017/03/04(土)12:06:33.28 ID: QkLzeQ7y0.net

>>275
それはそうですね。陰=悪いイメージがあるからそう取られるんですよね。
気の戦・濁・偏・枯は陰と陽とはまた別ですね。例えば健康を見る際、この4つは病疾の原因と見ます。
滴天髄の一説ですが、「何知其人夭 気濁神枯了」特に気が濁り最終的に枯れると人は死にます。

前も書いたけど、穢れって、単に汚れと気枯れの2種類あるんじゃないかと思うんですよね。
段階的にそれを分けた方が差別や誤解も産まれにくいのではと思います。
まだ整理するの難しいですが、気が濁り枯れてしまう気枯れ→これが死ぬやつ、悪風水の忌地的なもの
汚れはその原因の一つであるという考え方。




277:名無しのオカルト 2017/03/04(土)12:28:07.67 ID: Aj8LW7Lw0.net

横レス失礼
江戸中期に禅と儒教の身体技法に由来する養生法と修養のなかで出現し発達した「気」の概念は、当時は物質の性質に対するワードだった。
これが明治中期以降に西洋の神智学や心霊主義そしてそれらを経由してきた近代ヨーガと近代バレエにおけるPurāṇaの概念によって、気概念はまったく新しい内容となり、
そしてこれが古代か近くとも中古まで遡ることができる伝統的概念であり、中国道教に由来する「東洋の神秘」である、というすり替えが行われた。
ここまでの論議は、この1900年代に形成された新しい観念に乗っかったものなので、あまり現実には近づけないのではないか。




278:名無しのオカルト 2017/03/04(土)12:30:08.64 ID: Aj8LW7Lw0.net

つまり、近代西洋のエキゾチックな視線で見た「東洋の神秘」を、日本なる近代に作られた観念世界の本質だと思い込む、よくある現象。




280:名無しのオカルト 2017/03/04(土)12:41:20.74 ID: Aj8LW7Lw0.net

旧来の、とくに戦後民主主義の認識枠組みに安住する学者たちは、この観念を強化する論理とそれに適した証拠をせっせと集め続けてきたが、
欧米ロシア中国で近代のエソテリシズムとヘルメス主義に対する評価が変わり、「隠された知」が人文社会科学に止まらず自然科学の本質に主流として関わってきた時代が近代であると判明してきたここ10年だったが、
完全に取り残されて、オカルトや神仏への礼拝がムーかカルトの専売特許だと信じ込んできた日本でも、最近二、三年になってようやく研究がなされるようになってきた。
じきに、公然と語られる時代が来るだろう。そして、万人に共通な霊性への認識がある(客観的に測定できる)という近代心霊主義の誤解も解けていくだろう。




283:名無しのオカルト 2017/03/04(土)14:38:18.16 ID: uyBMbRTV0.net

寺はしょうがないとしても、神社まで中国由来とは思いたくないな




288:名無しのオカルト 2017/03/04(土)17:00:55.48 ID: PQrjrhud0.net

>>283
さんざん大陸文化にお世話になってそれはねーわ




299:名無しのオカルト 2017/03/04(土)19:23:03.18 ID: YmEVYnDM0.net

>>288
三本足のカラスとか、高天ヶ原とか、天孫降臨なんてのは東アジアに広範に見られる。




285:名無しのオカルト 2017/03/04(土)15:33:08.90 ID: KO4/qKQ+0.net

中国と言うからいけない
唐や漢といえば古代ロマンで問題なし




282:名無しのオカルト 2017/03/04(土)13:44:29.76 ID: QkLzeQ7y0.net

陰陽では、気については実は物質だけじゃなく、全てが気でできていると解釈をします。
精神も、時間ですら気によって作られていると考えます。それの是非はおくとして
上記滴天髄にしても明代の書で、そこでも精神と気の作用は語られています。
>>277でおそらく日本で言われている気はまた別の解釈なのかな?と思うのですが。。




286:名無しのオカルト 2017/03/04(土)15:47:15.84 ID: Aj8LW7Lw0.net

>>282
それは現代のあなたや日本で考えられてきた、また考えられている気とは、ほとんど関係ないですよ。




287:名無しのオカルト 2017/03/04(土)16:00:18.99 ID: Aj8LW7Lw0.net

連投すいません、つまり、そこで語られている気というのは、理と対比され理の下位に置かれる、卑しく従属的な存在様態のことです。物質としてもエネルギーとしても現れますが、そこは問題になりません。
日本における気は、江戸中期、白隠禅師らと多くの儒者の身体技法の実践と、養生法の確立によって初めて出現します。禅仏教と儒教の合作ですね。
これが明治中期以降に、西欧のオカルトによってエキゾチックに再解釈されて、気一元論など東洋の神秘として生まれ変わった。
そして紆余曲折の末に、1910年代に創作された古神道などの新宗教運動にも取り入れられていった。
だから、中国など東アジアの影響は受けつつも、古代ギリシャのpneumaやインドのPurāṇaの概念から日本の気は生まれた、といっていい。




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295:名無しのオカルト 2017/03/04(土)17:49:17.14 ID: kxehamFu0.net

>>282
実際、神仏は密度の濃く清浄な、一大エネルギー体=気の塊だよ。
見た範囲では、人の姿はしてないみたい。
古めかしい人語も話さないw。




296:名無しのオカルト 2017/03/04(土)17:55:52.26 ID: Aj8LW7Lw0.net

群盲像を撫でるが如き論議になってきましたね…
そういう「見え方」が、西洋由来、直接には近代スピリチュアリズムなのです。歴史的な経緯で、伝統日本のものとされているけど。
気がエネルギーだ、という理解も、神智学由来。伝統日本のものではない。




318:名無しのオカルト 2017/03/05(日)19:20:09.02 ID: UYkXEe4R0.net

>>287
気功も黄帝内経からなる中医に源流あり、
つまり陰陽五行に当然関わりがあると考える立場なので
どうしても相容れない部分ありますね。
ここまでにしておきましょう。
興味深い話ではありましたのでありがとうございます。

>>295
神さまは形を取らないから陽、形をとる仏は陰とされます。
これは仏像や人間を指したことだと思います。
エネルギー体というのは理に合う興味深い話ですね。

すいませんね、少し控えます。




290:名無しのオカルト 2017/03/04(土)17:27:04.90 ID: tcuy4gbf0.net

動物の墓と慰霊碑
http://www.nichidokyo.or.jp/pdf/labio21/LABIO21-No31.pdf

依田賢太郎(東海大学医用生体工学科教授)

 動物塚のルーツは縄文時代にまで遡ることができる。縄文人は犬を家畜として狩猟に用い、家族の一員として大切に扱った。
死後は人間と同様に土壙墓に屈葬するのが一般的であった。人と合葬されるケースもあった。
また、後肢を骨折して完全な歩行は困難であったにもかかわらず天寿を全うした老犬の埋葬例(岩手、貝鳥貝塚)があり、
身近なものの命を大切にしていたことを物語っている。縄文犬の墓が犬塚の起源であり、この系譜に属する動物塚として、
猫塚、馬塚、牛塚、軍馬軍犬軍鳩慰霊碑、実験動物慰霊碑、ペットの墓など人間のあらゆる用に供された動物のための塚がある。

 縄文人は猪の狩猟を行って食物としたが、幼獣をキープして成獣に育てた後食用に供するケースもあった。
縄文遺跡からは猪の成獣や幼獣の土偶が出土するが、猪の幼獣が丁重に屈葬されている例(宮城、田柄貝塚)があり、骨が出土している。
これらは幼獣が家族の一員として扱われていたことを物語る。
また、縄文遺跡から多数の焼けた猪の幼獣の下顎骨が出土する(山梨、金生遺跡)が、これは何らかの儀礼が行われていたものと考えられる。
弥生時代の遺跡(鳥取、青谷上寺遺跡)からも儀礼に用いられたと考えられる猪などの頭骨が出土している。
猪の墓が食用動物の塚の起源であり、この系譜に属する動物塚として、熊供養碑、鹿供養碑、鳥塚、鳥獣供養碑、牛魂碑、畜産碑などがある。

 縄文遺跡から規則的に配列された海豚の骨(石川、真脇遺跡)やベンガラで色付けされ放射状に配列された海豚の頭骨(北海道、
東釧路貝塚)が出土しているが、これらは豊漁などの儀礼と関連があるものと考えられる。
これらが海生獣や魚類など食用動物の塚の起源と考えられる。
この系譜に属するものとして、いるか供養之碑、くじら供養碑、うなぎ供養碑、ふぐ供養碑、鰹塚、鮟鱇塚、海老塚などがある。




291:名無しのオカルト 2017/03/04(土)17:28:46.02 ID: tcuy4gbf0.net

 縄文時代の土器には蛇の象形(山梨、安道寺遺跡)が多く見られるが、
これは蛇の奇妙な形や動き、蝮の毒や脱皮という不可思議な現象などに驚異の念をいだき、蛇を畏怖していたことを示していると考えられる。
このような蛇への畏怖の念が弥生時代以降の蛇信仰へと発展し、神(田の神、水神)の依代として建立されたものが土着の蛇塚である。
この系譜に属する動物塚として、狐塚(田の神)、白蛇塚(雨神)、亀塚(海神)などがある。

 以上のことは縄文人が特別な動物と深い精神的な関わりを持っていたことを物語るが、
現存している動物塚の建立動機の基底に流れている心情の源泉はこの縄文人の精神性と同一のもと考えられる。
日本は四面を海に囲まれ、国土の七割以上が急峻な山地であるという地理的条件と比較的温暖で四季を通じて降雨量が多いという気象条件から、
食物としての天然物に恵まれていた。
縄文人は陸生獣、海生獣・魚類、植物をバランス良く摂取して豊かな食生活をしていたが、採集、狩猟、漁猟は気象条件に左右され、
台風、大水、豪雪、日照り、地震、噴火、火事、事故、病気、死などの災いは人間の力ではどうにもならない自然現象であった。
彼等の最も恐れたのはこのような災いをもたらす自然そのものであったに違いない。
彼らは自然と一体となって生活し、自然の豊かな恵みに感謝するとともに自然を畏怖していた。
この自然に対する恐れと感謝が動物の埋葬や動物祭祀、あるいは土偶の製作と関連しているものと考えられる。
宗教や国家の成立する遥か以前の縄文人が現実の生活の中で自然との相互作用によって培った動物に対する心情、
つまり、縄文人の自然に対するオソレ(恐れ、畏れ)にまつわる不安が動物塚建立の動機の一つになっているものと考えられる。
もう一つの動機は身近な動物を家族の一員と考える傾向が極めて強いことであり、人も動物も同じような運命を負っていると考えて大切に扱うことである。




293:名無しのオカルト 2017/03/04(土)17:30:11.49 ID: tcuy4gbf0.net

 縄文時代の墓は集落の中の住居近くに設けられたことから、縄文人のケガレ(不浄、罪、穢れ)意識は希薄であったと考えられる。
弥生時代以降になると集落の外に墓地が設けられるようになるのでケガレ意識が有ったかも知れない。
文献的にケガレが明記されているのは「古事記」(712年)、
「日本書紀」(720年)に記されているイザナギノミコトが死んだイザナミノミコトを追って黄泉國へ行き、穢れた記事である。
これが穢れの最初の記録であり、穢れを清めるために行った行為が禊ぎ祓いである。
「延喜式」(927年)では、人死、産、六畜死、六畜産および食宍の五つを穢れと定めている。なお、六畜とは牛、馬、羊、犬、鶏、豕をさす。
ちなみに、禊については中国に記録がある(例えば、道教経典「黄素四十四方経」)が、穢れや禊を法制化しているの
は日本独特のものである。弥生時代以降には縄文のオソレに加えてケガレ意識が動物塚建立の動機となる。
各種の禁忌や儀礼によりケガレを清め、祟り、災厄、神罰などを防ぎ、幸運を呼び込もうとするものである。
この日本古来のオソレとケガレの意識に仏教の殺生戒や慈悲思想が習合し、
平安時代からは神の怒りや怨霊の祟りを鎮めるための陰陽道や神仏混淆の修験道などが習合して動物塚建立の動機は複雑になる。
さらに道教の神仙思想や儒教の祖霊信仰も複雑に絡んでいる。
文献的には、「播磨國風土記」に犬墓建立の記事があり、「大鏡」には犬の霊や法事の記事が有る。
また、飼い猫が死んだために宮中の行事が中止になった記録が残されている。
動物塚は生きた人間のためのものであり、人と死んだ動物との介在所としての機能を果たしていると言えよう。
日本人は縄文の昔から現代まで動物塚をつくり続けてきたのである。




引用元:【神社】寺社にまつわるオカルト話32【寺】
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